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カテゴリー「神社・仏閣・史跡(新発田市)」の20件の記事

2018年1月12日 (金)

寺町ぶる~す

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福勝寺羅漢堂

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宝光寺山門

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夜の寺町(以上、新発田市)

雪景色をいろいろ撮りたいのだけど、車を停めるところがないのが問題。
今回はうちの菩提寺の、福勝寺の駐車場を利用させてもらいました。

2018年1月 1日 (月)

初詣マラソン

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滝観音堂(新発田市)
初めて行きました。
菅谷不動尊へ行く途中目にとまり、立ち寄った次第。
なかなか良かったです。

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多くの堂宇が立ち並ぶ菅谷不動尊ですが、開山堂はいつ来ても爽やかです。
尚、上の2枚は12月31日の撮影です。

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そして新年を迎えた今日。
割と天気が良かったので、石段を150段上ったところにある胎内市下館の大蔵神社へ。
といっても、道路に雪がなかったので、車で上の駐車場まで上がってしまったけれど。
地元のおばさんが一人で境内を清掃しており、快く声を掛けてくれました。
この神社は旧黒川村の人たち以外にはあまり知られていないけれど、素敵なパワースポットです。

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境内には、推定樹齢1350年、かつて軒の天然記念物に指定されていた赤松の巨木の根株がプレハブ小屋の中に保存されています。
昭和60年頃から樹齢が衰え始め、残念ながら平成5年に伐採されてしまいました。
往時の写真を見ると本当にすごいです。
でも、この切り株からもある種のエネルギーというか、磁場が感じられます。

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夕方のマジックアワー狙いで、昨年の正月に引き続き胎内市乙の乙宝寺へ移動。
いつも五重塔と本堂を組み合わせたいいアングルはないかと模索するのだけど、まだこれといったアングルを見つけることができていません。

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本堂では祈祷の真っ最中。
参拝客はこの時間になってもそこそこ多く、人々から愛されているんだなと思いました。

2017年12月31日 (日)

大晦日の大友稲荷奥の院

天気にも依りますが、元旦に初詣に行くことは滅多にないし(何よりあの人混みがいやです)、その意義も感じておりません。
ぼく的には、12月30日から1月7日までに行けばそれを初詣と呼んでいいのではないかと。
ということで、天気の崩れないうちにナンチャッテ初詣開始。
向かった先は大友稲荷(新発田市)。
鎌倉時代、領主大友実秀の発願により京都伏見稲荷大社の分霊を招請し創建されたと伝えられます。

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奥の院の核心部に鎮座する幾十もの小さな祠も、ここ20年で一気に廃墟化の様相を呈してきました。

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しかし、二つの大きな祠は今も信仰を集めており、きちんと管理されているようです。

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信者には、何か商売をされている人が多いようです。
名刺も沢山奉納されていました。

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今回初めて奥の院の内部を拝観することができました。
普段は特定の日を除いては無人の場合が多く、今まで入ったことがなかったのです。
この空間は良かったです。
異世界へ瞬時にタイムスリップ。
これとよく似た雰囲気を持つお寺で思いつくのは・・・西会津町の鳥追観音でしょうか。
大友稲荷奥の院、ぼくが写真を撮っている間にも次から次へと参拝客(みなさん家族連れ)が来たので、結構人気があるんだなと思いました。

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奉納されている品々の数が半端ない。
室内は総じて色彩が豊かで、チベットの五色の祈祷旗・タルチョを思い起こさせます。
ということで、皆様、良いお年を!

2017年12月 7日 (木)

加地城主郭跡を望む

新発田のあやめの湯の駐車場から、35mm換算960mmとなる望遠レンズで、快晴の飯豊連峰を写してみました。

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ピクセル等倍切り出し画像の、エブリサシ岳とエブリサシ小屋です。
シグマの超望遠ズームを使ったのですが、シグマのOSはイマイチ効きが弱いです。
2段効いているかどうか、というところです。
結局車の屋根に肘をついて撮ったのですが、300mm以上の焦点距離を使う時は横着しないで三脚を使わないといけませんね。
もし登山者が歩いていたら見えるかどうか、結構微妙な大きさですが、多分見えないでしょう。
二王子岳山頂の小屋も写してみましたが、エブリサシ小屋の方が大きく写ります。

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こちらは要害山山頂(157.6m)。
鎌倉時代、越後国加治荘の地頭職に任ぜられた、佐々木盛綱の嫡流である加地氏が築いた城があったところです。
こうして木が裸になった時期に遠望すると、本来の地形がよくわかります。
この台地状の広場に主郭があったわけですが、このアングルからだと人工的な地形であることが見て取れます。

※参考
http://zyousai.sakura.ne.jp/mysite1/sibata/kazi.html
http://umoretakojo.jp/Shiro/Hokuriku/Niigata/Kaji/index.htm

2017年10月27日 (金)

剣竜峡の山ノ神神社

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新発田の景勝地・剣竜峡へ行く際、剣竜峡の手前500mにある駐車場から左岸の小道をトドってアプローチすることをお勧めします。
この小道がとても清々しいからです。
特に、山ノ神神社へ立ち寄る場合は、このルートを取るといいでしょう。
上の写真は、その小道からアプローチしています(左奥が山ノ神神社)。

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山ノ神神社の内部です。
山の神は女神であるとされてきたがゆえに、男根を奉納した習わしがあります。
新発田近辺では、お隣の松岡川上流、奥胎内、鹿ノ俣川中流部などに男根が奉納されている山ノ神があります。
昔はもっとあちこちにあったんでしょうけど、これだけ原型を留めているのは民俗学的にも貴重だと思います。

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神社の手前には男根石があります。
子宝を授けるのに霊験あらたかであると信仰されてきました。

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数年ぶりに林道新発田南部線を通ってみました。
峠の標高が約450m。
そのあたりから飯豊連峰の主稜が見えることに気づきました。
右から薬師岳、そして飯豊連峰の最高峰・大日岳、お花畑で知られる御西岳。
その左奥には飯豊本山も顔を覗かせています(新潟県内から飯豊本山を見ることのできる場所は少ないんです)。
左には烏帽子岳、そして北股岳。
絶景です。

また、峠からやや剣竜峡側に下った所に、花の木平登山口の看板が立っているのを発見。
穴マクリ(590m)、コマタ(634m)などを巡って剣竜峡へ出る登山道が近年切り開かれたようです。
剣竜峡側の登山口には、登山者届け出用紙を提出するボックスの中に、簡単なパンフレットが置いてありました。
それが次の写真です。

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帰宅後ネットでも調べてみたのですが、何ヶ所もロープ場やアルミのはしごが出てくる、距離の割にはかなりハードなコースのようです。
最も展望の優れるのは穴マクリで、そこには展望案内板が立っています。
なので、花の木平登山口から穴マクリの単純往復が、最も手軽に大パノラマを楽しめるルートだと思います。
それにしても残念なのは、Tomさんもブログに書いておられましたが、林道新発田南部線が夜間通行禁止であること。
おそらくは粗大ゴミの不法投棄対策なのでしょうが、ネガティブ指向すぎますね。
そもそも、この林道を建設した段階で、山中に粗大ゴミをまき散らし、自然を破壊しまくったわけです。
作った以上は臭いものに蓋をするのではなく、24時間開放すべきでしょう。

2017年9月20日 (水)

PARADOXについて調べてみた

先日の新潟総踊りで、個人的に最も鮮烈な印象を受けたパラドックスの正体?がわかりました。
+ISM(プラスイズム)という団体です。
2011年、東京よさこいに初出場。
初出場ながら準大賞(高知県知事賞)を受賞しています。
YouTubeに、今年の新潟総踊りで演じられたパラドックスの原型である同名の曲の動画が多数アップされていました。
ただし、動画は2011~2013年までで途切れており、このグループの経歴や最近の活動内容などはわかりませんでした。

話は変わりますが、つい先日(14日)、買ったばかりの6DMK2を持って赤谷の滝谷地区へ行ってきました。
1年に何回かは必ず車で通り過ぎるのですが、改めて車を降りて歩いてみると、ここ10年で過疎化が一気に進んだなあと感じさせられます。
空き家や空き地が目立ち、かつては村内に車を停めたくてもちょっとしたスペースを見つけることができなかったのですが、今回は楽勝で停められました。

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実は今回初めて参拝した山神社。
車を停める適当な場所が見当たらなかったという理由で、過去20年間境内に足を踏み入れたことはなかったのです。
創立年代は不詳ですが、境内にある石灯籠に弘化三年(1843)の文字が刻まれていることから、そこそこ古い創建であることがわかります。
境内の気は、少し荒々しいものでした。
単純に、荒廃が進んでいるせいもあるのかもしれません。

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焼峰山の登山道の入り口に近い側の集落には、曹洞宗の大慶寺があります。
入り口の両側にこのようなお地蔵さんが並んでおり、和やかなその表情に癒やされました。
ネットので他の方が撮られた写真を見ると、紅葉の美しさは格別ですね。
今度は晩秋に来てみたいです。

2017年9月 8日 (金)

八百万の神々を祀る神社

9月4日、碁石海岸でグリーンフラッシュを見たあと、大きい月が出ているので星景写真を撮る気にはならず、ふとあの神社を月光の下で見てみたい衝動に襲われ、新発田市の二王子山麓へ移動しました。
目的地は、昨年4月27日の記事で取り上げた、陣馬山(本間新田)にひっそりと佇む神社です。
境内の一番大きな石碑に「陣馬山大小之神命ナントカ神社」とあるのでこれが正式名称でしょう。
しかし、石碑が比較的新しいのでその名称は近年付けられたもので、戦前はもっとシンプルな名前で呼ばれていたと想像します。

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境内の空気が凛として、いい感じ。
もう何度も県立図書館や新発田市、及び胎内市の図書館へ足を運んで調べてみたのだけど、ネットも含め一切記載のない謎の神社。
昔、二王子山への信仰登山が盛んだった頃に栄えた神社と思われます。
新発田市出身の登山家・五十嵐 篤雄さんの山に関するエッセイ集「飯豊道」に、小学生の頃の二王子山への登山の思い出が書かれているのですが、そこにちょこっとだけ出てきます。
この神社の境内で一休みしたとのことですが、前後の文脈からおそらく(すぐ斜め向かいににある稲荷神社ではなく)この神社を指すのではないかと。
境内にはそれこそありとあらゆる神々の名前や神社名を刻んだ石碑が何十個も立ち並び、庶民の信仰の原初的な形態を窺い知ることができます。

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先日長岡の宝徳山稲荷大社へ行ってきたのだけど、巨大な建造物には目もくれず、本能的にここが本来のご神体と思わしき大木の化石群へ引き寄せられました。
そして、ここの境内でもやはり異彩を放っているのがここなのです。
化石化はしていませんが、昔の人々は霊力を感じ取っていたのでしょう、朽ちた大木が石碑に囲まれて佇んでおります。

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近づいてみると、こんな感じ。
確かにある種の磁力を発散しているようです。

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ここが本殿でしょうか。
とても厳かです。

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境内はぐるりと周囲をストーンサークルのような小さな石碑に囲まれています。
ひとつひとつ文字が刻まれており(墓ではありません)、民俗学的な興味が尽きません。

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馬頭観音像。
新発田市の図書館で、郷土史関係のある小冊子の目次に同じ像の写真が載っており、陣馬山の馬頭観音と記載がありました。
先の五十嵐さんの本と並び、これが唯一の文献です。
その小冊子には、しかしながら本文に馬頭観音に対するそれ以上の記載はなく、ちょっとがっかりでした。
馬頭観音は観音菩薩の化身とされ、柔和相と憤怒相の二つの相を持ちます。
しかしながら、柔和相の像は稀だそうです。
ここの馬頭観音はかなり風化してはいますが、表情は穏やかで、柔和相バージョンであることがわかります。
その名の通り、地域によっては馬の守護神と崇められてきたわけですが、間違いなく陣馬山のこの像にもそれは当て嵌まると思います。

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天照大神の石碑は他にもあったので、主な祭神はアマテラスでしょうか。
近くに稲荷神社があるのですが、道路脇なのであまり風情はないものの、二王子山を一望する眺めの良さは特筆モノ。
でも、”気”の良さは断然こちらに軍配が上がります。
稲荷神社もうそうなのですが、この謎の神社も境内もよく手入れされており、気持ちよく参拝することができます。
(駐車場はないので、近くの稲荷神社の前に停めるとよいでしょう。)

2017年7月 4日 (火)

寺びらき in SHIBATA

7月1~2日の二日間、2回目の開催となる新発田・寺びらきイベントが行われました。
新潟日報にも記事が載りましたが、2日の午後、見に行ってきました。
うちは福勝寺の檀家なのですが、普段は他のお寺へ入る機会がありません。
お寺巡りは好きなので、自由に本堂へ出入りできるこのイベントは絶好の機会。
5つのお寺の本堂巡りをしましたが、なかなか有意義なひとときを過ごすことができました。
なかでも印象に残ったのは、宝光寺にある、溝口家の歴代墓所の見学。
新発田の基礎を築いた新発田重家の墓は福勝寺にあります。
なので、いつも墓参りに行くたびに前を通るのでよく知っていますが、新発田氏が滅亡してから新発田の藩主として派遣され、江戸時代の長きに渡って藩主を務めた溝口家の墓地は見たことがありません。
宝光寺にあることは知っていましたが、そこを見学するには拝観料が必要なので、今まで見る機会がなかったのです。
今回200円払い、初めて墓所を見ました。

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すごい霊気です。
高野山の、あの広大な墓地を思い出しました。
パワースポットとはちょっと違う。
異界という言葉最もフィットするような気がします。
こんなすごい場所が新発田市内にあるとは。

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墓地には何本かあじさいが咲いていました。
ここの霊気の影響か、これらのあじさいも我が家の庭にあるそれとは別種の植物のように思われました。

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新潟の白山神社にも、トンネルを通って行き着くことのできる隠れた霊地がありますが、あそこより荒々しいというか、原初的な波動に満ちています。

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宝光寺の境内にも10数年ぶりに入りましたが、境内全体が40年前の記憶にある佇まいそのままでした。

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そして、入母屋造りの山門。
子供の頃、一度左にある急な階段を上り、二階へ上がったことがあるんです。
もちろん人目を忍んでの冒険でした。
そんなことを懐かしく思い出しました。

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福勝寺の向かいにある三光寺では、本堂内に多くのお店~帽子屋さんや古本屋、雑貨屋さんなどなど~が出店していました。
三光寺の境内入り口に並んでいる、お地蔵さんをパチリ。
このお寺も初めて中へ入りましたが、とてもアットホームで温かい感じのするお寺でした。

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これは顕法寺の池で展示されていたアート作品「清五郎さん」。
顕法寺は、子育てや安産の守護神として知られる鬼子母神を祀る寺です。
何年か前、新発田の旧市街を徹底的に歩いた時に初めて中へ入ったのですが、ここもすごく居心地のいい寺で、すぐ好きになりました。
この池にはザリガニが多数いるのですが、ザリガニ釣りのイベントもやっており、親子連れで大賑わいでした。
住職が子供好きなのでしょうね。
これも鬼子母神マジックかもしれません。

2017年1月 3日 (火)

新発田の大友稲荷

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以上、EOS80D + TOKINAR AT-X 11-20mm F2.8 PRO DX

2016年5月29日 (日)

護念上人の墓と菅谷寺

渋谷金王丸が仕えた源義朝は、多くの兄弟がありました。
その中の一人、源慈応(=護念上人)は幼くして仏門に入り、比叡山で暮らします。
義朝が亡くなると平家の勢力は増し、彼は帰依していた比叡山無動寺の不動明王像の”御頭”を背負い諸国を行脚。
越後国加地庄菅谷山(新発田市菅谷)まで辿り着くとそこで啓示を得、背負ってきたご本尊を安置することを決意します。
ときに1185年、鎌倉幕府が設立される直前のことであり、比叡山を離れてから26年の歳月が経過していました。
頼朝にとっても護念上人は叔父にあたります。
佐々木源氏の流れを汲む佐々木盛綱~奥山庄を支配していた城氏を破り、要害山に城を築いて当時の加治庄を支配していた人物。彼にとっても護念上人は叔父にあたる~は、鎌倉に幕府を開いた頼朝に護念上人が自分の支配地に来たことを報告、彼の仲介により護念上人は頼朝に会いに鎌倉へ行きます。
そこで頼朝はたいそう感激した言います。
鎌倉滞在4日目に、頼朝は原因不明の病で床に臥せっていた娘の”大姫”の祈祷を依頼。
するとたちまち大姫の体調は回復したということで、頼朝は護念上人に不動尊のために荘園を寄贈したいと申し出ます。
しかし、清貧を旨とする護念上人はこれを固辞、滞在17日後に「都は賑やかすぎて私にはふさわしからず」と言い残し、越後へと帰ります。
承元4年(1210年)には、頼朝の子・源実朝が七堂伽藍を寄進。
建長5年(1253年)、雷火により伽藍は焼失しますが、本尊だけはみたらせの滝にてタニシに守られ無傷だったという有名なエピソードが残されています。

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(みたらせの滝)

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境内に残る、護念上人の碑。
これはあくまで記念碑であり、墓ではありません。
墓は、箱岩峠へ抜けていく道路の途中に案内板が立っていますので(次の写真参照)、そこから杉林の中へ入っていきます。

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往時、伽藍が建ち並んでいた寺境の沢を見下ろす小高い丘の上に、墓は建てられました。

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墓までは徒歩約2~3分。
ふかふかした杉林の中の小道を、800年もの間、どれだけの人が行き来したことでしょう。
林の中へ入ってすぐ、そんなイメージが視覚的に現れました。
なんという心地よさ。
感謝や祈りをもって連綿と人が歩き続けた道は、このように空間が磁化されるのです。

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(37 58 49.6N 139 24 32.5E  標高49.7m)

なんという優しい空間でしょう。
静かに至福の時が過ぎていきます。
正治2年(1200年)、58才で没す。
来年は菅谷寺の、例の不動明王像の7年に一度のご開帳の年(平成29年4月27日~5月22日)。
来年は是非その時期に来てみたいと思います。

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