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カテゴリー「神社・仏閣・史跡(下越)」の21件の記事

2017年3月13日 (月)

閻魔大王とご対面

村上市の旧市街を散策し、今回最もツボにはまったのが旧町人町にある安善小路、通称黒壁通りでした。

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詳しくはリンク先を見てもらうとして、ここは是非お勧めしたいエリアです。
割烹新多久さんのように、古いものと新しいものが見事に融合している建物もあり、見晴らしのいい丘というロケーションの魅力と相まって、歩くだけで身も心も晴れ晴れとなることでしょう。
さて、個人的に最も感動したのはえんま堂を偶然見つけたことでした。

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後で知ったのですが、冬以外の第四日曜日には骨董市が立つらしく、大勢の観光客で賑わうとのこと。
近年始まったイベントとのことですが、村上市はたくさんのイベントが有機的に結合しており、町おこしにつながっています。素晴らしいことです。
えんま堂に鎮座する閻魔さま、400年前の像らしいです。
特に文化財に指定されているわけではないのですが、びんびん感じるものがあり、すごく感銘を受けました。
これは怖い!
いたずらした子供は、昔はきっとえんま堂に連れて行かれて閻魔さまとご対面させられたのでしょうね。この体験はきっとトラウマになりますね。
でも、幼い頃のこの種のトラウマは決してネガティブなものではなく、むしろその後の人間形成に不可欠な栄養を与えてくれるのではないでしょうか。

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近くには九品仏(くほんぶつ)が鎮座します。
この仏様もいい感じ。
1760年に作られたそうなのですが、他にも多数の九品仏が近くにあるとのこと。
九品仏巡りも、町歩きの趣向として面白そうです。

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三面川で採れる鮭は本当に美味しいです。
値段は高いけど、来年の冬には北海道産ではなく、村上産の鮭を買ってみることにしよう。

2017年3月 5日 (日)

笹川邸の雛まつり

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初めて笹川邸(新潟市南区)の雛飾りを見ました。
見学者に無料で甘酒のふるまいサービスがありました。

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ここは子供部屋。
毎年1回は必ず訪れる笹川邸で、お気に入りの部屋のひとつ。

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2階にある化粧部屋へ来ると、いつも心が引き締まる思いがします。
背筋がぴ~んと伸びるというか。
まだこの空間には往時のホログラムの残滓が残っているようです。

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書斎前の廊下。
ここでなら何時間でも遊んでいられる。

2017年1月 9日 (月)

愛宕神社と船江大神宮

新潟市の昔からの繁華街・古町通り1番町から5番町あたりにかけては、個人的に他のどこよりノスタルジーを感じるエリアです。
最近数年間、万代島の北半分はかなり探索したけど、古町から白山公園にかけての旧市街はまだまだ未開拓。
1月9日、20年ぶりくらいでしょうか、愛宕神社とそれに隣接する船江大神宮へ行ってきました。

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愛宕神社は、新潟を代表する某大企業とゆかりのある神社です。
でも、そういう予備知識を仕入れると目が曇るので、純粋に自分の感覚を研ぎ澄まして参拝することをお勧めします。
ここだけ空間にぽっかりと穴が空いたように、周囲の雑踏から隔絶しています。

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愛宕神社の左には口之神社が鎮座します。
この神社は、江戸時代中期の農民、千葉の佐倉宗五郎を祀った神社。
なぜか愛宕神社より、こっちの建物に自然と脚が吸い寄せられていきました。
由緒を知ったのは帰宅してからです。
町歩き中は、できるだけ詳しい説明を書いた案内板を読まないようにしているからです。

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愛宕神社から白山公園側へ約20m、天照大御神と豊受大神を主神として祀る船江大神宮こと古町神明宮が鎮座します。
境内入り口には写真のように、味のある古い木造家屋が建っており、隣の高層マンションと格好の対となっています。

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愛宕神社とは空気感が全然違います。
こちらの方が万人好みと言えるでしょう。
近くに住んでいるのだったら、毎朝散歩の際に立ち寄りたいスポット。
どこか温かみを感じさせる神社です。

2017年1月 8日 (日)

坂井神社のご神木

新潟西バイパスの亀貝インターから車で5分、新通小学校近くのこんもりとした松林の中に坂井神社が鎮座します。
古くから坂井村の産土神として尊崇を集めてきたが、詳しい創立年代は不詳とのこと。
寛永三年(1626)に小祠が建てられ、それをもって発祥とする説が有力です。
坂井輪公民館前の交差点を左折し、県道16号線に入ります。
ほどなく進行方向右手に小高い松林が視界に入りますが、そこが坂井神社。
1月8日、初めて参拝しに行ってきたのですが、すぐわかりました。
坂井神社の建つ小高い丘全体が一種のパワースポットとなっており、境内の松の樹勢がいいのもその土地のエネルギーのせいでしょう。

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保存樹木にも指定されているこの2本の松が、ぼく的には事実上のご神体であるように感じました。
境内で最も背の高い木でもあり、これほど凛としたエネルギーには久しぶりに接しました。

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本殿入り口右手の、これらの松の木もなかなかでした。

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ぼくが訪れた時は、社務所の前で真新しい軽自動車のお祓いをやっていました。
宮司さんの威風堂々とした佇まいが印象的でした。

2017年1月 4日 (水)

白山神社の奥地

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つい昨日知ったばかりなんだけど、新潟市の白山神社には地下道があるんです(写真参照)。
迷路や路地裏大好き人間のぼくは、久々に血湧き肉躍る高揚感を覚えました。

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地下道を抜けると、写真右手に出ます。
いろいろな祠が建ち並んでいます。
ひとつひとつ手を合わせました。
この一角は白山神社の敷地内なのだけど、表の参道や境内からは見えません。

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祠の間には道祖神。
ここが一番癒やされたかな。
カメラの被写体には事欠きません。

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こちらは、蛇松明神社。
ここへ来るのが取りあえずの目的だったのだけど、やっぱり良かったです。
由緒については次のリンク先を参照ください。

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蛇松明神を過ぎても、まだまだ小道は続きます。
小道のどん詰まりに建つのが、黄龍神社と松尾神社。
特に、黄龍神社が存在感あります。磁場の強さを感じます。
今日は1月4日。
まだまだ正月の参拝客で境内はごった返していました。
それでも、この秘密の小道へ入ってくる人は少なく、行きも帰りもそれぞれ2~3人とすれ違っただけです。
でも、この空間を一人で独占してみたいので、今度は平日に改めて来てみたいと思いました。

2016年12月31日 (土)

親鸞聖人鳥屋野草庵跡

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親鸞聖人が3年間草庵を構えた場所。
草庵跡の護持の為、向かいに大谷派西方寺がありましたが、西方寺は現在は西に300m、信濃川のほとりに移転しています。
12月31日、初めて来たのですが、重厚な空気感が漂っていました。

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このあと、五頭山麓の旦飯野神社へ移動。
大晦日の夕方とあって参拝客が絶えなかったのですが、ぼくが中へ入ると数分で人がいなくなりました。
つかの間の静寂。
時間が止まりました。

2016年10月11日 (火)

鰍谷(かじかだに)紀行

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10月10日、鰍谷(関川村)のコアなスポットを幾つか散策してみました。
ここは旧安角小学校の校舎。
それほど荒んだ雰囲気はありません。
グランドとして使われていたであろう広場も、よく手入れがされています。
高台にあるので、景色が抜群。
この小学校に通ってみたいなあ。
背後に石段があり、石段を登ると・・・

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山神社が建っていました。
写真で見るとパッとしない外観ですが、ひとたびしめ縄の前で手を合わせ、目を閉じると・・・10秒ほどでタイプスリップ。
数十年ぶりに、かつて訪れたことのある向こう側?の世界へ足を踏み入れました。
この神社が気に入ったので、結局この日は2回も訪れてしまいました。

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鰍谷へ来ると必ず立ち寄るのがこの神社。
名前は失念。
いつ訪れても凛とした空気感があります。

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今回初めて訪れたのがこの滝。
通称・お不動様の背後にあります。
山奥っぽい雰囲気ですが、全然人里に近い所なんです。
自然の地形なのか人工の地形なのか判然としませんが、ここは本当に素晴らしい。
滝の落差は7~8mくらいでしょうか。
連日の雨でこの時期にしては水量が多く、迫力満点でした。

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鰍谷からの帰り、金俣からかつてホタルの写真を撮りに何回か来たことのある幾地川沿いの林道を走り、改めてホタルがたくさん棲息していそうな場所を下見しました。
幾地川はほとんどが護岸化されているのですが、幾地集落のはずれに一部自然のままの川が残っているのを発見。
そしたら、ある農道の入り口に「ホタル舞道」という看板が立っていました。
あ、やっぱりホタルの名所なんですね。
だけど、近くに車を停められそうな広い路肩がありません。
ちょっと歩かなければならないかも。
また、基本的に幹線道路から近いので、通行量は少ないとはいえ車のヘッドライトのまぶしさを感じることがあるかもしれません。
その幾地集落の手前に鎮座していたのが、この七社神社。
人肌のぬくもりを感じる、素敵な神社でした。

2016年6月17日 (金)

笹岡城趾の魅力

今年、吉川弘文館から発売された「甲信越の名城を歩く 新潟編」は、城郭ファンにとっては間違いなく名著。
しかし、この本にも漏れはあります。
阿賀野市にある笹岡城は非常によく地形の特徴が残っており、面積も大きすぎずコンパクトにまとまっているため、往時の姿を想像しやすいのです。
ぼくだったらこの場所は外さないけどなあ・・・

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当時は一帯は湿地帯であったと想像され、その湿地帯を天然の壕に見立てて築城されたのが笹岡城です。
築城年代は諸説ありますが、貞和年間(1350年)、篠岡資尚によって築かれたと言われています。
享禄年間から弘治年間にかけては山浦国清の居城となっていたが、御館の乱以後は今井源右衛門が上郷城よりこの地に移り、城主となりました。
天正13年(1585年)、新発田治長によって攻められ落城、その時点で廃城となったようです。

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本丸跡は、このように公園になっています。
ぼくが訪れたのは夕方であり、わずか20分ばかりの滞在。
もっと丹念に回りたかったのですが・・・
次のサイトに手際よく笹岡城趾についてまとめられているので、リンクを貼っておきます。

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こちらは二の丸への入り口でしょうか?
赤い鳥居がどこか不気味です。

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案内板の地図によると、ここが二の丸のはず。
この空間は、うまく説明できないのですが、身体がシャキンとなるような、まるで滝壺にでもいるような、冷涼な気の流れを感じました。

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十郎杉。
昭和55年に立てられた案内板の説明によると、名前の由来には4つの説があるそうです。
(樹齢はその時点で450年。)
1.十郎丸という連絡船を繋いだ。
2.十郎という人が植えた。
3.城楼杉。笹岡城の望楼の役目を果たした。
4.女郎杉。笹岡城の奥女中を葬った、もしくは宿場町笹岡の遊女を葬った。

尚、笹岡城趾の南には鑑洞寺が、南西には諏訪神社があります。
これらの敷地には、かつては城主の居館・殿舎があったと思われます。

2016年5月21日 (土)

城の山古墳と古舘館跡

胎内市は史跡の宝庫です。
先日、県立埋蔵文化財センターへ行って、全県的な視野で遺跡や史跡の分布を勉強してきました。
その観点からすると、国指定史跡は、下越では胎内市に集中しているのです。
そのためもあってか、胎内市教育委員会は文化財の保護にとても力を入れています。
その一躍を担っているのが、最近も吉川弘文館から「甲信越の名城を歩く」を出版された、考古学者で現在は胎内市の教育委員会に勤務する水澤幸一氏。
余談になりますが、上記の本は奥山荘歴史館で2割引で販売されています。
胎内市教育委員会が作成した”胎内市の文化財”という小冊子もお勧め。
これほどよくできた観光パンフレットを見たことがありません。
市内の史跡に立つ案内板の文章にも言えることですが、解説が非常に的確です。
概して非常に詳しく書かれているのですが、文章は読みやすく、決して難解ではありません。
そんなこんなで、あれよあれよというまに考古学ファンになってしまった私・・・
今日は、胎内市の史跡をさらに2ヶ所取り上げてみます。

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まずは、4世紀前半に作られたものと言われている城の山古墳。
当時はヤマト政権が勢力を伸ばしていた最中。
2012年の第6次発掘調査で、素晴らしい副葬品が多数発見されました。
近畿地方の古墳で発見されているヤマト政権の有力者たちの副葬品と、限りなく同等レベルのそれだったのです。
実際、黒川郷土文化伝習館でそれらの出土品を見たのですが、何より色鮮やかな状態で発掘されているので、その美しさにまず目を惹かれました。
古墳というと、既に何者かに掘り起こされ、めぼしいものは盗難に遭っていることが多いものですが、この古墳は全く手つかずの状態で発掘されたのです。

さて、もう一箇所は古舘館跡。

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奥山荘城館遺跡は複数の遺跡の集合体ですが、その一角をなすのがここ古舘館跡です。
15~16世紀前半にかけて使われた館跡。
文献や所在地から判断すると、三浦和田一族の高野氏の居館であったと言われています。

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面積6700㎡に及ぶ広大な郭内に、現在は曹洞宗の寺院・常光寺が立っています。
上の写真は、本来の虎口(城郭などで最も要所にある出入り口のこと)から内部を写したもの。
教育委員会が立てた案内板(次の写真)が反対側の出入り口にありますが、あそこは近年土塁を切り崩して通路としたものだとのこと。

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よく出来た案内板です。
胎内市教育委員会に敬意を表します。

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こちらは境内(かつての東郭)の一部。
発掘調査した面積は敷地全体の2%にすぎないそうなのですが、そこから多数の高級漆器類が見つかりました。
それならもっと掘り起こしてみればいいのに、と思うのですが、居住者(常光寺)がいるから難しいのでしょうか。

2016年5月20日 (金)

古津八幡山遺跡に酔いしれる

新発田市で見つかった中で最大級の縄文遺跡が青田遺跡。
そこの出土品が新潟県立埋蔵文化財センター(県立植物園の隣)で見られると知り、早速そこへ行ってきました。
展示物はとても充実しており、これで入館料が無料なんて信じられないくらい。
おまけに多数の土器が保管してある収蔵庫や、7万冊もの考古学関係の本が収納されている図書館にも出入りができるのですから。
見学後、古津八幡山遺跡という幟が何本もはためいているのを見て、小道を登っていくと・・・

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キタ~という感じです。
古津八幡山遺跡は弥生時代の大規模な高地性環濠集落で、2005年に国の史跡に指定されました。
新津市教育委員会が14回も調査を行い、整備した上で、昨年4月から全面公開を開始。
入場は無料です。

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面積は広く(11.5ヘクタール)、尾根の西端には県内最大規模の古墳があります。
この丘一帯では多数の竪穴式住居が見つかっており、それらは弥生時代のものと推定されているようです。
丘には7~8軒の竪穴式住居が復元されており、本当に弥生時代にタイムスリップしたような錯覚に囚われます。
そして、ここは星景写真にも絶好の場所です。
あれこれ構図を練りながら見学しました。
名付けて”弥生のムラ星景”。
弥生時代の星空はさもありなんというほどの透明度に恵まれたら、是非その時はここで星見をしてみたいですね。


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