偶然11日夜、旧三之町(新発田市)の方で人だかりがしているのに気づき、行ってみたら花市をやっていました。
そういえば数年前、21時過ぎに行ったら既に花を売っている店は閉店してしまっており、お盆の花を買い損ねた覚えがあります。
翌年は19時台に来ようと思いながら、ずっと忘れていました。
今度は20時前だったのでセーフ。
とはいえ、もう1時間早かったらもっと人出があったことでしょう。
強者どもが夢のあと。
三之町台輪のあおり体験が行われていました。
花市の歴史は古く、かつてはこの花市で花やぼんぼりなどを買い求め、お盆を迎える準備をしたそうです。
とはいえ、この界隈の花屋さんの数も近年減ってしまいました。
生前、生け花の先生をやっていた母が御用達にしていた花屋さんも、今はもうありません。
この通りの往時の賑わいを、ぼくはかろうじて知っています。
正面左、平久呉服店はとうにつぶれたものと思っていましたが、ご覧のように明かりが点いていました。
これはとても嬉しかった。
隣接する旧四之町の児童公園では、会費1000円でバーベキュー大会が開かれていました。
台輪を引く人たちの決起集会といったところでしょうか。
新発田まつりももうすぐです。
12月21日、初めて県立新発田病院の最上階へ行ってきました。
最上階の11Fに展望ラウンジがあるのですが、そこからの展望が思いのほか良かったので、いったん家に帰ってカメラを持ち出してきました。
二王子山を見渡す、絶好の展望台。
つくづく二王子山は秀峰だと思います。
それにしても、駅南に住宅が増えましたね。
30年前へタイムスリップして、同じ風景を眺めてみたい・・・
ラウンジは19時まで営業しているので、手持ちでなんちゃって星景も撮れるかもしれません。
11階まで上がらなくても、各階にある待合室は南に面して設けられているので、どの階からも同じ方角を展望することができます。
個人的に、最も感動したのはこの方角。
駅前通りが正面やや左を走り、現在建設中の市役所新庁舎、家庭裁判所、警察署、市役所旧庁舎などが一望の下。
とても新鮮な画角です。
ぼくが昔住んでいた家の斜め迎えにあったカトリック教会の屋根も見えます。
やはり30~40年前にタイムスリップして、同じ角度でこの風景を眺めてみたい。
旧市街の建物もどんどん近代的になり、城下町風情はほとんど失われてしまったけれど、警察署の裏から寺町にかけてこんもりと茂る松林は、江戸時代とそう変わっていないはず。
とにかく、展望ラウンジの居心地の良さは抜群でした。
なにげに、デートコースとしても最適かと・・・
2014年10月1日及び10月10日の記事で取り上げた、新発田の花街を見下ろしてきた松の木が枯れました(写真右手)。
この界隈はかつての三宜町(みよしちょう)なのですが、正面右手の褐色の建物の辺りに弁天池(もしくはひょうたん池)がありました。
道路建設のため埋め立てられるまでは弁天池を取り囲むように、妓楼が軒を連ねていたのです。
この近くに住んでいる友人のご家族から、弁天池近くの、松の木の一本が枯れかかっているよとの連絡を受け、行ってみた次第。
2014年10月1日の記事の、上から5枚目の写真に写っている松がこれです。
電磁波にやられてしまったようですね、ぼくの想像ですが。
この界隈の盆栽仕立ての松は、ぼく的には天然記念物に指定したいところなのですが・・・
昨日は特別編、今日は番外編と、いったん最終回と題しておきながら、なかなか終わりません(汗)。
さて、9月21日に石泉荘を取り上げていますが、そのときは事前に何の知識もありませんでした。旭町がそこにあったことすら知らなかった。
昨日の記事にも書きましたが、最近、新発田の廓の歴史について詳しく書かれた小冊子を読む機会を得ました。
10日の記事に旭町の遊郭配置図を載せましたが、そこにちゃんと花菱の名前が載っています。その隣は若月楼。現在石崎家が住んでいる家は若月楼のあった場所です。
パズルのピースが合ってくると、俄然興味が増してきます。
もう一度じっくり見学したくなり、10日に石泉荘を再訪しました。
パンフレットを読んで初めて知ったのですが、門と塀は”花菱”時代のものだそうです。
この石畳の場所には昭和43年まで80坪ほどの土蔵造りの住宅があったそうですが、老朽化が進んだため取り壊したとか。
しかし、その材料で母屋と離れ座敷をつなぐ渡り廊下を作ったそうです。
新発田川に面した離れ座敷の上の間(11帖)。かつての花菱の中核。
清水園と共催で、ここで市民茶会が開催されることもあります。
昭和初期に新築された、玄関に続く6帖の和室。
新発田川に面した離れ座敷(右)と化粧の間(左)。
縁側も当時のままだそうです。
川戸がここにもありました。
今でもこの辺の新発田川は水質もよく、異臭も全くありません。
かつては筏下りの光景も見られたとか。
いつか新発田川をカヌーで下ってみたいですね。
離れ座敷と並び、登録有形文化財の指定を受けている茶室。
明治28年、市内にあった藩医の茶室兼隠居所を移築したものです。
ここだけ、内部の見学はできません。
1週間ほど前に、大変興味深い資料に巡り会いました。
「新発田郷土誌 第十号」(新発田市史編纂委員会)です。
この本は毎号様々な角度から新発田の歴史や風俗に関する話題を取り上げており、興味が尽きません。
中でも今回、第十号の”新発田の廓を語る”(松田時次著)は面白かったです。
幾つか確かめておきたい点が出てきたので、改めて現地へ足を運び、再取材を重ねました。
10月1日の記事と一部重なりますが、改めて取り上げてみたいと思います。
尚、「新発田郷土誌 第十号」は新発田図書館の他には、新潟市のほんぽ~とにバックナンバーが置いてあります。
松田氏の一文に旭町と三宜町の絵地図が載っていたので、それをフリーハンドで書き写してみました。
それと、三宜町(現御幸町2丁目)に関しては地形が大きく変わっているため、現在の地図と大正時代に作成された地図を併せて貼り付け、比較しやすいよう、独自の資料を作成してみました。
(1)旭町の歴史
新発田の廓の歴史を語る前に、いつ頃から私娼が出現し始めたのかを検証してみます。
松田氏によると、十返舎一九は「道中金の草履」で新発田の”かぼちゃ”について触れているそうです。
かぼちゃとは、私娼を指す隠語。江戸時代末期から明治初期にかけて、小人町(現・大手町3丁目)や徒士町(現・大手町2丁目)に出没していたと言われています。
風紀の悪化を理由に何度も官憲は取り締まりを試みましたが、いたちごっこ。
明治8年には、歩兵第三連隊第二大隊が東京から新発田へ移駐してきました。
その後、歩兵代十六連隊の設置の話も出てきたため(明治17年6月設置)、当局は大局的な見地から、公娼が必要であるとの業者の主張を受け入れ、旭町(現・諏訪町3丁目)が朱印地として選ばれたのです。
こうして明治13年、新発田藩の武芸や馬術の訓練場だった旭町に、17軒の妓楼が集まり、廓の営業が始まりました。
ところが明治37年、新高楼から出火、隣接する上鉄砲町の民家50軒余を巻き込み、約70軒が焼け出されてしまいます。
もともと、廓が住宅街の近くにあるのは風紀上いかがなものかという声も少なからずあり、この火災をきっかけに、花街は思い切り郊外の伊勢堂地内(現・御幸町2丁目)への移転を余儀なくされたのでした。
正確に言うと、焼け残った1軒と、新たに同じ場所に新築した2軒の計3軒は引き続き旭町で営業を続けたのですが、新しい廓街に対抗できず、ほどなく三宜町へ3軒とも移転・合流したのでした。
その3軒の中の1軒が花菱。
花菱の場合は焼け跡に、市内にあった武家屋敷の一部を移築、そこで営業を続けていたのです。
まもなく花菱は三宜町へ移転しますが、その建物は現存しています。
それが石泉荘の離れ座敷(登録有形文化財)。
もともとの経営者が旭町へ移って以降、新津で製油を業としていた石崎家の所有となり、別邸として使われるようになったのです。
近年、この離れ座敷と庭園は一般公開されるようになり、ぼくも今年初めて見に行ってきたばかり。
花菱の歴史を思い起こしながら座敷に一人佇んでいると、当時のワンシーンがフラッシュバックしてくるような感覚に陥りました。
ぼくのこのブログでは、9月21日の記事で写真を掲載しているので、興味のある方はご覧になって下さい。
かつての旭町メインストリートです。
1枚目の資料でいうと、E地点から写した写真になります。
右側の石泉荘さんの駐車場は、かつての”えび屋”跡。
この辺は明治時代の区画がそのまま残っており、絵地図と現在の地図とがきれいに整合します。
左側には明治37年当時5軒の妓楼がありましたが、現在は6軒の住宅が建っています。
1枚目の資料でいうと、F地点から写真です。
本当に狭い通りです。
尚、新発田郷土誌第十号の”新発田の廓を語る”の記事に載っている旭町の絵地図は南が上になっています。
ぼくが作成した資料では、地図はすべて北を上にして描き直してあります。
(2)三宜町の歴史
松田氏の”新発田の廓を語る”の記事は、妓楼の経営者の子孫の方から直接お話しを聞いているので、非常に詳しく正確です。
1枚目の資料に掲げた”三宜町朱印全図”などは大変貴重なもの。
さて、ここでも困った問題が発生しました。
池の形や周囲の道路の形状が、やはり1枚目の資料に収録した大正6年に作られた地図ときれいに一致しないのです。
この界隈は戦後急速に開発が進み、道幅の広いバイパス道路ができたことで池は跡形もなく消失しました。
バイパス道路のできる以前、大正~昭和30年代初期の間に作られた市街図を探したのですが、見つけることができませんでした。
もっともあったとて、住宅地図が出現したのは割と近年のことですから、縮尺の大きさや正確さは期待できませんが。
10月1日の記事でも書きましたが、「新発田今昔写真帖 20世紀のふるさと100景」に載っている写真がどこから写されたかを突き止めたいという思いがありました。
でも、昔の道路や目標物がほとんど残っていないため、現在の住宅地図上で正確になぞることができないのです。大体の場所は判明しているのですが。
「新発田今昔写真帖 20世紀のふるさと100景」p66、昭和30年代に撮られたとされる写真をよく見たら、左隅の電信柱の先に左へ折れる小道がわずかに見えていることに気がつきました。
10月1日の記事、2枚目の写真と同じ場所には違いないのですが、あの本の写真同様、その小道への入り口がわかるよう写し直したのが上の写真です(A地点)。
ぼくの使用レンズは35mm換算40mmですから、あの本の写真は50mmの標準レンズで撮られたものと推察できます。
とにかく五叉路の交差点付近は新旧の道路が交錯しまくっています。
これはC地点からの撮影。思わぬ所に小路が隠されています。
こちらはD地点から五叉路の交差点の半分を切り取ったもの。
美容室の左側に車の通行不可能な細い路地が見えます。
昭和初期に作られた道路ではないかと推測するのですが、どうでしょう。
この美容室の右に沿って延び、神明神社へと抜ける道路は明治時代からあったもの。
1枚目の自作資料によると、緑のラインの道路にあたると思われます。
こちらはB地点からの写真。
ここからスタートし、ふかみ美容室の前を通って長徳寺方面へ抜ける小道は、やはり大正時代に作成された地図に記載の古い道(緑のライン)だと思います。
結局、三宜町の名残を示すもので現存している最もわかりやすいものは盆栽仕立ての松の大木でしょう。
1枚めの資料中央の写真をご覧下さい。
10月1日の記事にも書きましたが、この写真に写っている最も背の高い松と同じ木と思われる木が現地に残っています。
この中央の松の木が生き字引なのです。
池は二つあったようなので、「新発田今昔写真帖 20世紀のふるさと100景」66pの大きな写真(イコール1枚目の資料中央の写真)に写っている池がどちらの池なのかにより、妓楼街の配置は若干異なってきます。
おそらくあの写真は、池と池の中間の草地、大きい方の池の真後ろからメインストリートである西方向へカメラを向けていると思うのですが。
と、場所の特定のみに意識が向き、三宜町の歴史については触れていませんでした。
新発田郷土誌第十号の松田氏の記事の抜粋になりますが、56年に渡る三宜町での廓の歴史について、主な妓楼の移り変わりについて述べられています。
*若月楼 途中で経営者は北海道に渡り、相生楼が引き継ぐ。
*花菱楼 掛倉に移り、芸妓置屋に転身。新盛楼が引き継ぐ。
*岩名風呂屋が招月楼に転身。
*新潟古町の東京亭が神風楼を開く。
*佐渡から丸川清三郎という周旋屋がやってきて金鶏楼を始める。・・・etc
昭和14年頃から戦争の足音が高くなってくると、大半の土地は進出してきた軍需工場に身売りします。
終戦を迎え、残った業者(招月、常磐、三高、初音、新盛、相生)は引き続き営業を続けましたが、経営は苦しかったようです。
その後、招月は招月旅館に、相生は末広旅館に、初音は掛倉に移転し、久和原旅館に、新盛楼は関川村の雲母温泉で万代館を開業、三高楼は建物を改造してアパート経営に転身と、昭和30年代に各業者は各地に散っていったのでした。
ところで、各妓楼の前には、松やつつじが植栽されていました。
人の心を浮き立たせる演出の意図がありました。
盆栽仕立ての松が妓楼のシンボルと言われるのはそのためです。
あと、松田氏の記事を読んで印象に残ったのは、廓芸者の存在です。
娼妓のようにからだは売らず、三味線や鼓、横笛、太鼓や踊りなど、5~6才の頃から仕込まれた芸一本で身を立てていました。
この習慣はよその花街でも見られます。
芸のレベルは非常に高かったそうです。
ぼくは弁天池(瓢箪池)の場所を突き止めようとしてきましたが、そこには次のような背景があります。
もう一度、松田氏の文章を引用します。
「毎年8月12~13日のお盆の頃ともなれば、日没時からドンドン、ドドン、ドンドドンと遊郭踊りに合わせる独特の太鼓の音が遠く田舎の方まで響くと、近郷の若者達の心はうきうきしてくるのである。そして、やがて夜もふけかかる頃、元気のよいねじり鉢巻、浴衣着流しの者から、腰に手拭い、頭に鳥打帽の者など、町はずれの三宜町にぞくぞくと集まってくる。
廓の中ではどの座敷の門前も紅灯を競って灯し、中央の瓢箪池の周囲は角灯やぼんぼりが松の緑を水面に映して若者達の気持ちを一層かりたてるのである。
いつも禁足令の籠の鳥たちも入念に化粧して、艶を競ってなじみの客や野次馬客と池の周りを賑やかに、夜の更けるのも忘れて踊りに踊る。こうして20日頃までの約1週間、廓の夜は千客万来の賑やかさで明け暮れるのである。」
新発田まつりのけんか台輪や民謡流しもいいですが、このように幽玄な世界を一目見てみたいと夢想しながらこの章を終えます。
8月31日から始めた新発田の街角散策シリーズも今回で終了です。
尚、過去記事をご覧になりたい方は、ブログ右欄にカテゴリーという項目がありますので、そこで新発田市街という言葉を見つけ、それをクリックして下さい。
すると、32回の記事がまとめて表示されます。
尚、無料で見ることのできるネット地図では、マピオンが最も詳しく正確です。
最大1/1500にまで拡大することができ、固有名詞も住宅地図並みに多く記載されています。
ラストは、もう一度ぼくが育った家周辺の見慣れた風景を取り上げて終わりにします。
家の前の狭い小路を裁判所側へ抜けると、左手にこの風景がありました。
その眺めは今も変わっていません。
この松林は、かつての武家屋敷の面影を留めるもの。
このアングルでこの風景を見るたびに、心がしゃきっとします。
今は失われた小路の入り口。
約15m先で新しくできた道路と繋がっています。
左手は裁判所。
この周辺の風景は、ここ30年の間に大きく変貌してしまいました。
裁判所の庭にこの松があります。
今の裁判所の建物に建て替えられる前までは、ぼくを含め、子供達が毎日のようにこの松の木の周りで遊んでいました。
それだけに、この松は寂しそう。
布団掛けの松を見るために庭に入るのはOKなので、ぜひみなさんもこの松に会いに行ってやってください。
最後に、2002年に撤去された我が家の旧宅。
最初に建築されたのは明治40年代でした。
当初は2軒が隣り合っていたのですが、昭和の初めにくっつけ合わせ、1軒の家に改築したらしいです。
狭い庭には杏(あんず)や柿、イチジクの木があったのですが、平成に入る前に全て伐採してしまいました。
イチジクや杏は毎年好きなだけ食べていたので、今でもお金を払ってイチジクを買う気にはなれません。大好物ではあるのだけど。
でも、今日だけはシリーズを完遂した記念に、ウオロクでイチジクを買ってきて食べるとしますか。
8月31日から始めた町歩きシリーズも、いよいよ大詰め。
旧市街と言えるような地域はくまなく歩いたつもりだったんですが、今日は少し漏れていた地域の写真をアップします。
西新発田高校の松です。
今は男女共学ですが、かつては女子校でした。
学園祭で中へ入ったことがありますが、西校の敷地内は、ぼくみたいな清純な男子学生からみたら禁断の砦以外のなにものでもありませんでした。
正門をくぐったところにこの松はあります。
この松こそ、西高校の真の校長先生です。
西高校前からマルフジ会館、松屋米店にかけて、新発田川の支流が流れています。
最終的には御幸町1丁目、美容室ともえさんのあたりで新発田川に合流します。
ひたすら川沿いに歩いてみるのも一興です。
松の根本付近の塀に注目。
とても窮屈そうですが、松は全く意に介していないようです。
旧神田商店。
さくら堂の近くにありますので、探してみて下さい。
七所神社。
妖精が出てきそうな小道を見つけました。
探すと、市内にはまだまだこんな小道があります。
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