黒鳥兵衛伝説
前回アップした桜の木の根元には、「黒鳥兵衛の鬼塚」と書かれた石碑が建っています。
11日、やっと満開になったと予想されたので、昼間改めて立ち寄ってみました。
平安貴族のような艶やかさ漂う見事な桜です。
ところで、黒鳥兵衛は平安時代の人物で、奥州の豪族・安部氏の家来。
反乱を起こした安部氏は朝廷の命を受けた源義家に滅ぼされますが、家来の兵衛は越後に逃れ、蒲原地方一帯に勢力を伸ばしました。
定説では、兵衛は悪行の限りを尽くしたが故に討伐されたことになっていますが、勝てば官軍の習い通り、本当に悪人であったかどうかはわからないと思います。
確かなのは、身長180cmの頑強な大男だったこと。
いずれにせよ、兵衛が勢力を伸ばすのを面白く思わなかった義家は弟の加茂次郎義綱を派遣し、兵衛を討伐します。
兵衛の遺体は別々に切り離され、首は西宮内、胴体は弥彦、手足は緒立(現在の新潟市西区黒崎)に埋められたといわれています。
埋葬地の上には兵衛の荒ぶる魂を鎮めるために、八幡様が祀られました。
そして、この桜の背後の杉林の中に八幡宮が確かにありました。
境内にはある種の霊気が漂っています。
でも決しておどろおどろしいいものではなく、透徹な空気感を感じます。
そして、手足が埋葬されたと言われる緒立にも八幡宮がありました。
亀貝インターを下りてすぐ、日帰り温泉施設の新潟市老人福祉センター・黒埼荘がありますが、その近くです。
敷地は結構広く、遠くから眺めるとやはりマウント状になっているのですが、この場所は緒立八幡宮古墳が発掘された場所でもあり、新潟県の指定史跡になっています。
遺跡そのものは1600~1700年前の古墳時代前期のものなのですが、ここにも黒鳥兵衛伝説が語り継がれているのです。
緒立温泉の源泉は八幡宮の境内にあるのですが(次の写真)、源泉の湧く場所は兵衛の遺体が埋められた場所だとのこと。
敵対する有力者を殺害し、その霊を鎮めるために祠を建てるのは歴史上普通に見られることです。
神社の裏?の歴史をひもとくと、地名に”戸”が付いている場所は殺害や虐殺が行われたところで、死者の呪いを恐れるがゆえに、つまり霊を封印させるために神社を建立したという例はたくさんあるのです。
弥彦神社も、確か境内にそういった性質の小さな祠があったかと思います。
今回、鬼塚を調べるに際し、郷土の歴史について大変詳しく書いてあるHPを見つけました。
まさに西宮内に住む佐々木家の方が作ったHPがそれ。
より詳しく知りたい方は要チェックです。
« 西宮内の桜 | トップページ | 加治川分水の桜と星空 »
「神社・仏閣・史跡(下越)」カテゴリの記事
- 船山神社と種月寺(2019.01.13)
- 精霊たちの初詣(2019.01.06)
- 折居の聖域(2019.01.03)
- 弥彦の某神社(2018.11.26)
- 黄金の里と慈光寺周遊(2018.11.22)
「神社・仏閣・史跡(新発田市)」カテゴリの記事
- 2019撮り初め(2019.01.02)
- 月夜の剣竜峡・山の神神社(2018.10.18)
- 星降る神社(2018.09.12)
- 黒鳥兵衛伝説(2018.04.11)
- 寺町ぶる~す(2018.01.12)
コメント