新井郷川河口へ
表題の新井郷川河口へ行く前に、まるひさんのコメントに触発されたので、沼垂のおかめ小路と太夫小路の周辺を少しだけ歩いてみました。
これは太夫小路。小路の入り口に案内板が立っているのはいいですね。
こないだ来た時は気づかなかったけど、小路巡りも楽しいかも。
実は小路巡りのマップをネットで見つけたですが、一筆書きのようにルートを辿っていくと、おそらく2時間はゆうにかかるでしょう。
春のお楽しみにとっておきます。
今はもうないのですが、高校時代までを過ごしたぼくの家の前の小路も、これと同じ道幅でした。
舗装されたのも新発田の旧市街の中では最も遅く、ぼくが中学生の時だったと思います。
そんなこんなで懐かしさを覚えました。
周辺は再開発が急速に進んでいるようで、このような廃屋もぽつりぽつりとあります。
さて表題の新井郷川河口ですが、実はここへ来たのは初めてです。
左岸の川沿いの道路は一般車も通行することができ、河口までスムーズに行くことができました。
目的は、新井郷川右岸に建つ三菱ガス化学を初めとする工場の夜景を撮るための下見。
太夫浜側へも足を運びましたが、なかなか絵になる場所がありません。
河口の左岸から狙うのが現実的ですね。
河口からは東港の火力発電所の煙突や、飯豊連峰のエブリサシ岳などを遠望することができ、なかなか良かったのですが・・・
ただし、土手には100m近くに渡って棘のある灌木が密生しており、その枝が邪魔になります。
それにしても、松浜は古き良き時代の漁村風景を所々残していますね。
やはり春になったら、もう少しじっくり街歩きしてみたいです。
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あけましておめでとうございます。
さっそくインスペクションされてるようですね(^^)
左岸の川沿いは何度か行って見ましたが、木が多くて難しいですよね。
私も色々調べてみたのですが、右岸側の太夫浜の浜沿いを徒歩で歩くと工場の裏手(と言うか海っぱた)まで行けますので、そこから撮るのかがベストっぽいですね。
地図上で500mくらい歩かなければなりませんが、小さな砂丘状になっているのでおそらく遮蔽物なく撮る事が出来そうです。
実はこちらに勤めている釣友が居まして、電話で聞いてみたら、フェンス等を超えて敷地内に入らなければ問題ないとの事でした(無断侵入には非常に厳しいらしいです)。
近い内に行って見たいのですが・・・仕事が・・・・天気が・・・・(;;)
投稿: Tom | 2018年1月 5日 (金) 20時54分
Tomさん、ご教示頂きありがとうございます。500mは結構ありますね。加治川河口の右岸の先端へ辿り着くまでもかなり歩きますが、200mくらいまでが許容範囲ですかね。ただし、ここの工場はそれほど見栄えがするわけではなかったので、個人的にはもういいかなと思っています。それより、クラレが入っている中条工場団地に魅せられました。昨夜ちょっとだけ周囲をロケハンとは言わないまでもぐるりと車で回ってみたのですが、いやあ、いいですね。工場が密集しているので絵になります。もちろん敷地内には入るつもりは全くありません。敷地外でよさそうなポイント、2~3箇所見つけました。ちょっと風邪を引いてしまったので、やはり冬の夜歩き回るのは身体に良くないので、本格的なロケハンは春が来てからにしようと思っています。
投稿: Toshihiko Sato | 2018年1月 5日 (金) 22時43分
早速訪れていただき、ありがとうございます。
懐かしいですねー
私の家は写真の左側の今は空き地になっているところにありました。両隣の家は当時のまま。ここだけ時間が止まっているようです。
またまた「昔住んでいた所」ネタになりますが、新井郷川近くにも住んでいたところがあります。ただ、河口付近ではなく、旧7号線の久平橋たもとでした。今はもう閉まっているキチローという雑貨屋の隣でした。住んでいたのは小学校1年の1学期わずか3ヶ月。でも思い出に残っているんですよね。
投稿: まるひ | 2018年1月 6日 (土) 13時03分
まるひさんは下町を点々としているんですね。実はぼくも6~7才にかけての2年間、長岡市の東神田2丁目に住んでいたことがありまして、その頃のことは今でも鮮明に覚えています。家の前の通りはそれこそ太夫小路と同じくらいの狭い道幅だったのですが、この小路、現在でも昔のままの姿で残っているんです。隣のソバ屋も、その2軒おいて隣の八百屋も、斜め向の床屋もそのまんま。長岡での2年間は今までの人生で最も楽しかったと言っても過言ではありません。なので、今でも2~3年に一度は現地を訪れ、感傷に浸っています。
投稿: Toshihiko Sato | 2018年1月 6日 (土) 15時15分