笹岡城趾の魅力
今年、吉川弘文館から発売された「甲信越の名城を歩く 新潟編」は、城郭ファンにとっては間違いなく名著。
しかし、この本にも漏れはあります。
阿賀野市にある笹岡城は非常によく地形の特徴が残っており、面積も大きすぎずコンパクトにまとまっているため、往時の姿を想像しやすいのです。
ぼくだったらこの場所は外さないけどなあ・・・
当時は一帯は湿地帯であったと想像され、その湿地帯を天然の壕に見立てて築城されたのが笹岡城です。
築城年代は諸説ありますが、貞和年間(1350年)、篠岡資尚によって築かれたと言われています。
享禄年間から弘治年間にかけては山浦国清の居城となっていたが、御館の乱以後は今井源右衛門が上郷城よりこの地に移り、城主となりました。
天正13年(1585年)、新発田治長によって攻められ落城、その時点で廃城となったようです。
本丸跡は、このように公園になっています。
ぼくが訪れたのは夕方であり、わずか20分ばかりの滞在。
もっと丹念に回りたかったのですが・・・
次のサイトに手際よく笹岡城趾についてまとめられているので、リンクを貼っておきます。
こちらは二の丸への入り口でしょうか?
赤い鳥居がどこか不気味です。
案内板の地図によると、ここが二の丸のはず。
この空間は、うまく説明できないのですが、身体がシャキンとなるような、まるで滝壺にでもいるような、冷涼な気の流れを感じました。
十郎杉。
昭和55年に立てられた案内板の説明によると、名前の由来には4つの説があるそうです。
(樹齢はその時点で450年。)
1.十郎丸という連絡船を繋いだ。
2.十郎という人が植えた。
3.城楼杉。笹岡城の望楼の役目を果たした。
4.女郎杉。笹岡城の奥女中を葬った、もしくは宿場町笹岡の遊女を葬った。
尚、笹岡城趾の南には鑑洞寺が、南西には諏訪神社があります。
これらの敷地には、かつては城主の居館・殿舎があったと思われます。
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