江上館跡を訪ねる
胎内市は旧中条町のことですが、中条の語源は、鳥坂城を根城にした中条氏に由来します。
建仁元年(1201年)城氏が滅亡した後、木曽義仲追討の恩賞として、三浦和田氏の和田義茂に奥山荘地頭職を与えられました。
三浦和田氏は土着して中条氏を名乗り、黒川氏、関沢氏、築地氏、金山氏など多くの庶流を生み出します。
奥山荘城館遺跡として国指定史跡になっている江上館跡は、14世紀後半から15世紀末まで使われた中条氏の居館跡と考えられています。
中条氏は戦国時代には揚北衆の一員として上杉氏に従い、上杉氏の会津の転封によりこの地を後にし、奥山荘における三浦和田氏の支配は終わったのです。
ニュータウンの一角にある江上館は、近年奥山荘歴史の広場として整備され、発掘時の貴重な出土品を展示する奥山荘歴史館を併設します。
5月9日に初めて見学したのですが、予想以上のスケールの大きさに感嘆しました。
案内板の説明文も詳しく書かれており、豊富やイラストや写真と併せて、とても好感が持てました。
胎内市の歴史的観光資源というと、一般的には乙の乙宝寺や胎内観音ぐらいしか思いつかないかと思いますが、江上館跡は是非訪れてみたい史跡です。
江上館跡を含む奥山荘城館遺跡については、次のサイトが詳しいので説明を譲ります。
ちなみに、見学は無料(奥山荘歴史館は入場料100円)。
車は歴史館前の駐車場に停めることができます。
上の写真は、敷地の南東に建つ古館稲荷神社。
こちらは敷地の北西に建つ鷲麻神社。
同名の神社が市内本郷町にありますが、こちらは本郷町の神社の分霊を祀ったもののようです。
鷲ヶ巣山(村上市)の鷲巣権現の神託によって開墾されたのが本郷村。
つまり、本郷町の産土神というわけです。
胎内市の史跡(いずれも国指定史跡)を年代順に並べると、次のようになります。
鳥坂城趾(平安末期)->坊城館跡(鎌倉)->江上館跡(室町)
江上館跡から南に200mに位置する坊城館跡は、奥山荘に地頭職として赴任してきた三浦和田氏の領主屋敷跡と考えられています。
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