二王子神社旧参道を歩く
2012年7月23日のブログ記事に書いたように、その日初めて二王子神社への旧参道の一部を歩きました。
その後、何度か旧参道の入り口、通称一本杉(下に、南無阿弥陀仏と刻まれた石碑が立っている)までは何度か足を運んだのですが、5月9日、初めて旧参道の残り半分を歩いてみました。
背の高い杉並木の中を行く旧参道は、石碑から数十メートル先で踏み跡で途絶えています。
今回歩いたのは、そこより100mほど上手にある農道ルート。
この小道は国土地理院の1/2.5万地形図に記載があります。
30年くらい昔になりますが、バイクでこの農道へ山菜採りに来たことがあり、周辺の地形はよく把握しているつもり。
果たして、田貝川右岸へ続くはずの踏み跡が残っているかどうか不安でしたが、ちゃんと残っていました。
これは、地形図に点線で記載されている農道からの1枚。
経度139 26 25.6 E 緯度37 54 48.6 N 標高128.3m
山頂方面の展望が利き、星景写真にも良さそうです。
農道上部から林に突っ込む200mほどの区間の道がわかりにくかったですが、所々赤いテープが木の枝に巻かれているので、それを見つけるとよいと思います。
林に入ると程なく瀬音が大きくなってきて、とうとう念願の丸木橋まで到達することができました。
下越山岳会の重鎮の登山家・五十嵐篤雄氏の著書「飯豊道」に、大正15年生まれの著者が8才のときに初めて旧参道を歩き、二王子山神社へ参拝したときの様子が克明に書かれています(p266-269参照)。
そこで描写されている、田貝川に架かる丸木橋がちゃんと残っているのです。
この辺りは川幅も広く、まさに深山幽谷といった風情。
太古から続くであろう、美しい流れがそこにありました。
今回はここで引き返したのですが、丸木橋を渡り、標高差にして50mほどの通称七曲がりの坂を登り切ると、車道から分岐している旧参道と出会うはず。
ふたつの旧参道が出会う地点までは前回神社側から歩いたので、完全踏破とまではいかないものの、旧参道が今でも通しで歩けることを発見したので満足でした。
さて、ここからは2012年7月に撮った写真です。
周りの自然のと完全に一体化している太鼓橋(昭和47年に付け替え)は必見。
ちなみに、橋の手前の両側にそびえる杉は夫婦杉(或いは鳥居杉)。
濡れて光沢を帯びた岩盤の上を幾筋もの水が滝となって流れ落ち、古式騒然たる苔むした石橋と併せて一幅の絵画とも言える風景が展開します。
太鼓橋を渡ると、祓い戸神社跡(もしっくは祓殿跡)があります。
昔、祭礼の時に参拝者はここでお祓いを受けたそうです。
樹勢が龍の昇る姿に似ているから、ということで名付けられた登龍杉の存在感も特筆もの。
周辺には大きな切り株が幾つも残っていますが、これらは今の神社を建築する際の部材として使われたのだとか。
この鳥居を過ぎると道は左にカーブし、急な石段が続きます。
登りきれば、現在の二王子神社の立つ境内に出ます。
昔は境内に入る手前に見事な山門(随神門)があったのですが、昭和37年3月、籠堂もろとも登山者の失火で消失しました。
本殿もそれに先立つ昭和23年4月、やはり失火で消失。
今の本殿も立派なものですが、戦前にタイムスリップしてみたいと思うのはぼくだけではないでしょう。
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