無料ブログはココログ

« 羽黒の石切山 | トップページ | 胎内の縄文清水 »

2016年5月 9日 (月)

羽黒の観音堂

Img_3226p

この写真は、石切場遺跡上部の廃道から撮ったもの。
この建物に通じる車道があるわけではありません。
よく、昔の人はこんな山中に大きな建物を建てたものですね。

Img_3250

ここが参拝道の入り口。
右は、鳥坂山の石切山コースです。
”やすらぎ”ベンチがいい味出していますね。
いつ頃設置されたものでしょう?

Img_3253

Img_3270p

観音堂へは、300段近い石段を登っていきます。県内最強?のハードなアプローチ。
観音堂前の広場にはベンチが置かれてあり、絶景が疲れを癒やしてくれます。
さて、観音堂に安置されている十一面観音菩薩(羽黒権現)は、平安時代に北越後を支配した桓武平氏を祖とする城氏が一族の守護神として祀ったもの。
現在の建物は1836年に建築されたもので、その後何度か改修工事を行っています。
直近のそれは、2010年に八幡建築さんによって行われました。
同社のブログに工事終了後の写真が載っているのですが、上の写真と寸分変わりません。
なので、冬囲いをまだ解いていないのではなく、1年中この姿なのです。

Img_3258

裏に小さな建物があります。
戸を開けて中へ入ってみました。

Img_3260

穴観音が祀ってありました。
穴観音とは、子宝や安産の願い事を聞いてくれる観音様を意味します。

Img_3266

毎月16日が月例祭で、ここで読経が厳かに行われます。
さらに年に2回の大祭の日(2月16日と8月9日)には、大護摩が焚かれるそうです。
ユニークなのは、月例祭で祈祷のあと、参拝者全員に昼食のお斎(おとき)が振る舞われること。
古代米、煮物、漬け物、なます、お汁、そして羊羹などのデザートまでもが振る舞われます。
これは昭和5年から続いている習慣で、お供え物として上げられたお米を施したのが始まりだとか。

Img_3271

帰りに、羽黒三社に立ち寄ってみました。
鎌倉~室町時代にかけてこの地を治めた中条氏の庶流・羽黒氏の居館(羽黒館)がこの辺りに置かれていたのです。
正確に言うと、ここ羽黒三社から徳岩寺にかけての段丘端に置かれていました。
主郭は現在畑地になっていますが、羽黒三社裏と徳岩寺の南側に空堀が残っているので、興味のある方は探してみるといいでしょう。

« 羽黒の石切山 | トップページ | 胎内の縄文清水 »

神社・仏閣・史跡(下越)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 羽黒の石切山 | トップページ | 胎内の縄文清水 »

2022年8月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31