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2016年5月27日 (金)

王子神社と渋谷金王丸 (3)

(3)能舞台はどこにあったか

下石川(新発田市)に土着した金王丸は、能舞台を作り、自ら能を演じると共に村人たちと能を鑑賞したと言います。
下石川の一角に、今でも残っている舞台という地名の由来はここにありますが、それでは舞台はどこにあったのだろうかと調べてみました。
結論から言うと、文献上ではそれを示唆する文章は出てきません。
それならばと、現地へ追加取材へ行き、あちこち歩いてみました。
手元にあるゼンリンの住宅地図に、詳しく集落としての舞台の範囲が記載されているのですが、そこに神社マークがあります。
ちょうど小高い森か丘のような地形上にそれはあり、現地調査でもすぐにその地形はわかりました。
5月25日のブログ記事で掲載している2枚目の写真で、左端に写っている林がそれです。
拡大してみます。

Img_3787

何かありそうです。
そこへ至る農道の入り口に次のような案内板が立っていました。

Img_3775

裏に詳しく内容が書かれてあり、要約すると諏訪神社境内にスギ3本、モミ、シナ、ブナの計6本の巨木があり、それらは六神木として崇められてきたそうです。
昭和55年に、新発田市の保存樹木として指定されたとあります。
ただし、樹齢は最も古いもので350年とあるので、金王丸が生きていた800年前とはかけ離れており、当時の様子は知るべくもありません。

Img_3782

(37 57 53.4N 139 24 54.4E  標高51.8m)

森の入り口へ行ってみて驚きました。
完全に薮に埋もれています。
しかし、鳥居はしっかり残っており、諏訪神社の文字もまだ風化していません。

Img_3799

薮は最初の7mが深かったですが、以降は踏み跡がはっきりしてきました。
取り囲むように立っているこれらの木が例のご神木ですね。

Img_3807

最も高い杉の木の下には、このような案内板も立っていました。

Img_3803

神社の建物はまだ朽ち果てていません。
意外としっかりしています。
ちなみにこの諏訪神社、”新発田市史”の神社一覧には載っていません。
上石川と中川の境界付近に、神明宮という立派な神社が鎮座するのですが、大正天皇が即位した際、上・下石川と中川の3集落内の諸社を合祀して神明社を建立したそうです。
それからは忘れ去られた存在だったのでしょう。
しかしながら、このように原型を留めているということは、まだ一部の人が参拝していることを暗に物語っています。
おそらくは舞台地区の一部の人々によって。
この一角こそが、金王丸が能舞台を設けた場所ではないかと直感しました。
地形といい立地条件といい、ぼくが金王丸だったらこの場所を選ぶでしょう。
不思議な磁力が神社からは感じられました。

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