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2016年4月10日 (日)

加治氏ゆかりの地

土曜にアップした記事の続きです。
坂井川の河原でコゴミを取ったあと農道へ戻ってくると、視界に存在感のある桜の木が目に入りました。
早速行ってみると、思いがけぬ文章が案内板に刻まれていました。

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源平の合戦で勇名を馳せた佐々木盛綱は、源頼朝から越後守護・ 加治荘地頭に任命され、今の新発田市一帯を収めます。
のちに新発田城の城主となる新発田氏は、盛綱を祖とする加治氏の傍流。
加治氏は19代の景綱を最後にお家断絶の憂き目に遭いますが、その景綱が晩年居を構えた地がここなのでした。
萬休斉は、”万事休す”から来ているものと思われ、景綱の晩年の心境が読み取れます。

Img_2721

南に二王子山の勇姿を抱き、素晴らしいロケーション。
この場所を選んだ景綱に、なんか好感を抱いてしまいました。

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万休斉を名乗った佐々木景綱の墓がここにあり、位牌は香伝寺に安置されています。
香伝寺はニノックススキー場へ行く途中の集落にあるので、すぐわかりました。

Img_2843

境内は広く、庭園もなかなか見応えがあります。
さて、この地に赴任してきた佐々木盛綱が居城を構えたのが、櫛形山脈の南端に位置する要害山(166m)です。
実はこの日(9日)、最後に訪れたのが要害山の登山口に立つ藤戸神社でした。
後述するような史実を、一切この時点では知らなかったのです。
30年くらい昔、母とワラビ取りに登ったことがあるくらいで、自宅から割と近い(車で10分)にも関わらず、要害山周辺はあまり来たことがありませんでした。

Img_2775

ここが藤戸神社の入り口(兼・登山口)。
神社の名前の由来は、岡山県の藤戸の瀬戸における平家との戦いで、近江源氏の雄・佐々木盛綱が殊勲をあげたことを称えるために付けられたそうです。
尚、祭神は近江源氏の遠祖にあたる宇多天皇。
この記事を書くにあたり、歴史書をひもといているのですが、様々な偶然の一致に驚くことしきりです。
さて、背の高い杉の古木が2本鳥居の左右に林立するこの佇まい、近年レイライン上に位置することで有名になった岐阜県の日輪神社にそっくりです。
確かに、鳥居をくぐると空気感がドラスティックに変わります。
既に薄暗くなっていたので、この日はここで引き返しました。

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前方に見えている鳥居まで、高低差にして40mくらいありそう。
石段も崩れかかっており、サンダル履きは厳禁です。

Img_2794

翌朝(つまり今日)、改めて神社まで登ってみました。
最初視界に飛び込んでくる鳥居の奥にもうひとつ鳥居があり、思ったより遠かった・・・
帰りは入り口の右手に見えていた林道を降りてきたのですが、点在する山桜が目を楽しませてくれました。

Img_2784

左手奥に見える赤い鳥居が神社の入り口。
山裾には小川(今泉川)が流れており、清らかな水の流れに目を奪われました。
周辺の田んぼの用水路は完全にU字溝化されていますが、この川だけは数百メートルに及び、自然のままの護岸です。
これはひょっとすると、アレも多く生息しているかもしれません。

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