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2014年9月の30件の記事

2014年9月30日 (火)

新発田旧市街探訪 (27) 御幸町3丁目界隈

このシリーズ、当初は土地勘のある場所を中心に、あまり町域の区分けを気にせずに記事を書いてきました。
しかし、取材を進めていく中、より細部に目が行くようになり、きちんと整理しないと収拾がつかないようになっていきました。
9月中旬、新発田図書館から借りてきた「城下町新発田の旧町名」という本を読んだら、自分の知識が非常に浅いことを思い知らされ、もっと入念に取材を行うようになりました。
ですから、中盤辺りからより細かく町域を区切るようになり、それに基づいて記事を書いています。ただし、厳密には多少隣接町域と入り交じっている写真もありますが。
過去記事を読みたい方は、ブログ右のカテゴリー欄に”新発田市街”という項目がありますから、それをクリックしてもらうと新発田市街でタグづけされた記事の一覧が表示されます。

さて、御幸町はそもそも裁判所の近くの小路で育ったぼくにとっては全く未知の地域でした。
おととしから長徳寺にヨガを習いに顔を出すようになり、そのとき初めていかに御幸町が迷路のように入り組んでいるかを知った次第。
中でも、御幸町3丁目は迷路です。
ただし、3丁目の住宅地が形成されたのは比較的新しく、大正6年9月の古地図によると、一帯は野原となっています。やや離れて、今の御幸町2丁目にかけて三宣町の貸座敷街が細々と連なっていたほかは。

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四之町公会堂脇の細い道を入っていくと、正面にこのお店が見えてきます。

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時田畳店~木村洋服店界隈の通りはかなりレトロです。

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ここは長徳寺の近く。この通りから西が御幸町3丁目。
井上葬儀店さんは大栄町1丁目になります。

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御幸町2~3丁目界隈は、9月に入ってから3~4回は散策に訪れました。
冒頭にも書きましたが、この辺は今までぼくのテリトリー外でしたから。

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ふかみ美容室前の細い通りは、大正6年9月発行の”北蒲原郡新発田町全図”に既に記載があります。
一方、右手を走っている道幅の広い道路は戦後できたもの。

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御幸町ふれあいコミュニティーセンターに隣接して石仏神社が建っています。
これがそこに安置されている石仏たち。
天明年間(18世紀後半)の作。阿弥陀如来を模して彫られた石像だそうです。

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児童遊園が併設されています。
とても気持ちのよい場所で、ここ3週間の間にぼく自身4回くらい足を運びました。
いつも遊んでいる子供達の姿を目にします。

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児童遊園の斜め向かいに立つ古い住宅。

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やはり、石仏神社の近くにあるクリーニング店です。

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石仏神社脇の水路。正面が五叉路の交差点です。
左側に小道が付いています。

2014年9月29日 (月)

週末の星空

土曜日は、越後七浦シーサイドラインを白岩観音へ。
今の時期なら、海岸線ギリギリに南の天の川が現れるはず。
笹川流れの狐崎でも同様の構図が得られそうですが、どちらの場合も漁船の漁り火が問題です。
結果、やはり漁り火の影響は絶大でした。

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EOS60Da + SAMYANG 16mm F2.0 ED AS

天の川は予想通りの位置に現れてきてくれました。
それは嬉しいのですが、この明るさです。
海岸線が非常に美しいがゆえに、なおのこと悲しい。

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この海岸(花立)は車が入れないので、自然がよく保全されています。
駐車場からも徒歩4分程度で来られます。

日曜日は雄国沼へ。
雄国沼へ来るのはこれでまだ二度目。
夏以外は車で金沢峠まで入れるらしいので、数年前から計画を練っていた場所です。
塩川町川前の標高が350m、そこから標高1150mの金沢峠までぐわんぐわん登ってきます。タイトなカーブの連続で、ドライバー以外は車酔いするかも。
道路は舗装されていますが、夜間は真っ暗になりますし、山道の運転に慣れていない人はNGです。

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EOS60Da + SAMYANG 16mm F2.0 ED AS

金沢峠からの夜景。喜多方市方面をパチリ。
気分はマウイ島のハレアカラ山頂の駐車場です(数年前に行ったんです。ほんと、雰囲気が似ています)。
ちなみに、喜多方市街の夜景はそれほど明るくありません。
雲さえなければ、雄国沼からの星空はコントラストの高い第一級のそれが見られるものと確信しています。

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よく晴れています。どんだけすごい星空が見られることだろう。
期待に胸が膨らみます。
今日こそ、湖面に垂直に立ち上がる天の川と、鏡のような湖面への反射を写してみたい!

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駐車場から徒歩30分でこの場所へ着きました。
構図はステラでのシミュレーション通り。
三日月がいい感じで沈んでいきます。でも、ちょっと雲が拡がりつつあるような。
湖面の透明感が違います。さすが標高1100m。
魚も結構いるようで、たまにバシャンという音がします。
水の透明度も高く、まさしく鏡のように澄んでいます。
・・・と、いいのはここまででした。
あれよあれよという間に薄雲が広がり、天の川は隠れてしまいました。
しかも機材の設定ミスで、唯一写せた最初の4枚(追尾撮影バージョン)もボツに。
30分後には、くっきり見えていたカシオペアもお隠れ遊ばし・・・
でも、来てよかったです。
取りあえずは、入念にインスペクションできましたから。

2014年9月28日 (日)

新発田旧市街探訪 (26) 御幸町1丁目(旧職人町界隈)

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鍛冶小路との十字路から、職人町方面を見ています。

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十字路から右手、鍛冶小路を進むと、新発田川の手前に理容みぞぐちさんが見えてきます。

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例の十字路から職人町方面へ進むと、すぐ右手にこの公園が現れます。
職人町公会堂です。神明神社の祠が隣接しています。
遊具が置かれている公園は、どこも雰囲気が明るいですね。

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昔ながらの長屋の建物も、まだ残っています。

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職人町集会所と神社。
やはりこの神社の由緒はわかりませんでしたが、延享元年(1748)の新発田町家図の同じ場所、つまり大黒小路との境に神社の鳥居が描かれています。
この鳥居は、その当時のものではないかと思います。

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境内の左隅に庚申塔がありました。
刻まれた年号を見ると、寛正十二とあります。西暦1800年です。
庚申信仰は、新発田にも江戸時代から広まっていたことがわかります。
昨日写真をアップした、元海寺さんの入り口にもありましたし、今までこのシリーズで紹介してきた神社仏閣のあちこちに庚申塔は残っています。
庚申信仰がどんなものかを説明すると長くなるので、興味がある人はウィキペディアで調べてみて下さい。

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そして、新発田川。この辺は水量も豊富で、水質も比較的いいようです。
匂いもほとんどありません。

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神明宮の秋の豊年祭での一コマ。
諏訪神社と神明宮の祭礼の時に、御神輿の先導をつとめる獅子舞が舞われました。
それは職人町の人たちの役割だったのです。

2014年9月27日 (土)

新発田旧市街探訪 (25) 御幸町1丁目(旧紺屋町周辺)

昔の町名で言うと、紺屋町と職人町が御幸町1丁目になります。
材木町・紺屋町・上定役町・築地通りを四ノ町と呼びますが、その一角です。
材木町は今の桂医院のあたり、そこから西側、元海寺までが紺屋町、そこから西側が職人町です。
市の教育委員会が作った案内板が要所要所に立っているので、それを見つけることを目的とすると町歩きの楽しさが増します。

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真言宗のお寺・元海寺。
四ノ町公会堂の隣にあります。

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元海寺の入り口に二つの石碑が建っています。
湯殿山の石碑は、密教系の多くの寺院で見られます。湯殿山は修験道の聖地ですから。
手前の石碑(庚申塔)には、文久三の文字が見えます。
西暦に直すと1863年。
この年に起きた出来事を挙げてみましょう。
例えば、新撰組の隊長芹沢鴨が暗殺され、近藤勇が隊長に就任。
例えば、薩英戦争勃発。
幕末の激動期だったのです。

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この長屋、元は12軒が連なったものでした。
明治20年頃、白瀬家が建てたと言われています。
平成に入ってから三之町一帯で家の建て替えが進んできたため、この辺りが新発田市内で最も古い街並みを(部分的ではありますが)留めている一角と言えるでしょう。

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アングルを変えてくだんの長屋を写してみました。

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金子屋別館の向かいにある四之町公会堂と、同じ敷地に立つ都波岐(つばき)神社。
祭神は猿田比古命。
旧紺屋町を示す案内板がここに立っています。

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新発田川を渡り大手町1丁目に入ってしまいますが、ここに(写真右手)番太郎小路を示す案内板が立っています。神明前バス停の近くです。
火や盗人の番、木戸の番に当たったものを番太郎と言いました。
その番太郎が住んでいた番小屋があったため、そう称するようになりました。

 

2014年9月26日 (金)

新潟ふるさと村のダリアたち

少し前(9月23日)に撮ったものですが、新潟ふるさと村のダリアの写真を紹介します。
春はチューリップで有名ですが、ぼく自身、夏以降に行ったのは初めてかもしれません。
ダリアを主体に様々な花が咲き乱れており、そこは楽園と呼ぶにふさわしい風景が見られました。

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このあと、県立図書館裏の彼岸花の群生地へ立ち寄りました。
ちょうど満開でした。

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2014年9月25日 (木)

新発田旧市街探訪 (24) 大栄町2丁目~後編~

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昨日紹介した井崎商店さんの向かい、町裏団地公営住宅の庭です。
塀の向こうは、寿昌寺と顕法寺さんの墓地です。
町歩きをすると様々なローカルな公園を目にしますが、中でもここは気に入りました。
気持ちの良い草原の中には、木製の遊具も置かれてあり、そこかしこにお花畑もあります。
子供達にしたら、これはたまらないでしょう。
墓地を隔てている塀の高さも低いので、容易に進入可能。
う~ん、ここで遊びたい。

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浄土宗・大善寺さんの境内です。
二度の火災に遭い、由緒や沿革は不明の点が多いとのこと。

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大善寺さんで印象に残ったのは、墓地の外れに立つこの大木。
凛として美しい。

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大善寺を過ぎて、100mも歩くと長徳寺に出ます。
創建は1585年(天正13年)。
赤穂浪士の一人、堀部安兵衛の生家である中山家の菩提寺として知られています。
近年は各種イベントを活発に開催しており、かくいうぼくも月に2回、ヨガをやりに長徳寺さんへ通っています。
(注:毎月第2&第4木曜夜にヨガ教室が開かれています。時間は18:30~20:00、料金は1500円。単発参加可能。初心者大歓迎。希望者は長徳寺のHPのリンクを貼っておいたので、メールで問い合わせてみて下さい。)

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これは、昨年”はかり売りマーケット”が開かれたときに映した1枚。

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赤穂義士47体の木像が納めされている義士堂。

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長徳寺の墓地。

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長徳寺の入り口の右側に、ひっそりと佇む安入寺。
宗派は長徳寺と同じ真宗大谷派です。

2014年9月24日 (水)

新発田旧市街探訪 (23) 大栄町2丁目~前編~

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鬼子母神を祀ることで知られるお寺、顕法寺さん。
鬼子母神とは釈迦に帰依した鬼神で、特に安産と育児の守護神とされます。
境内には池や庭園があり、いつ訪れてもそこだけは静かな時間が流れています。

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顕法寺の創建は1660年。本堂は明治40年の再建で、なかなか風格があります。
本堂に安置されている鬼子母神は、毎年5月7日と8日に一般公開されます。

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顕法寺からとことこ通りを西へ歩いて行くと、幾つか商店が道の両側に点在しています。
ぼくが高校生の頃まで住んでいた中央町1丁目の家も、もっと小さい店だったけど、斜め向かいに豆腐屋さんがありました。

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昨日アップした、大栄町の交差点に面して立つカナシン金物店さんの倉庫が、寿昌寺の前にありました。

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サイクルショップ磯部さんの昔の店舗。新しい店舗が近くにあります。
数年内には、この建物も取り壊されるのでしょう。

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食料品やお酒などを扱っている井崎商店さん。

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新発田の下町を歩くと、平成に入って急激になくなりつつあるとはいえ、子供の頃見慣れた古い木造家屋がまだまだ現存していることに驚かされます。この家も空き家ではありません。

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なんか、ほっとする路地です。
路地にじっと佇んでいると、一軒一軒の家の住人の顔が走馬燈のように脳裏に浮かんでは消えていきます。
そして、頭の中でこだまするのは子供達の笑い声・・・

2014年9月23日 (火)

新発田旧市街探訪 (22) 大栄町7丁目界隈

清水園から新発田農高、R290に囲まれたエリアのスナップです。
この辺りも、比較的古い家々が残っています。

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R290に面した家。ここは昔、釣具屋さんでした。

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諏訪町3丁目にかけて、大きな蔵が点在しています。

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両町公会堂の隣にある稲荷神社。
ここが気に入りました。

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稲荷神社境内には遊具が置かれてあります。
境内で遊ぶなんて御法度という神社より、こういう神社の方が実は聖域なのではないでしょうか。子供達が寄り集まる所こそ、真のパワースポットです。

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かなりの風雪を耐えてきた家です。

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清水園の横の通り。

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清水園の入り口の裏手。
エアコンがなければ、人が住んでいるとは誰も思わないでしょう。

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交差点にたつカナシン金物店。
漁具(網)が置いてあります。かつて釣りキチだったものとして、この品揃えは評価したい(笑)。

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どこの通りだったか忘れました。
狭い路地裏探訪は、町歩きの醍醐味です。

2014年9月22日 (月)

温身平(ぬくみだいら)の星空

正確には、温身平(山形県)よりやや上流の梅花皮沢(かいらぎさわ)です。
撮影日は9月21日。前日よりは大気はクリアではありませんした。
薄明終了後は、空が青みがかって見えていたほどです。
しかしながら、ここは飯豊連峰の核心部、標高も470mあるため、そこで見上げる星空は壮絶なものでした。
あまりに暗いので、撮った写真は全て露出不足。
従って、射手座の散光星雲の赤の発色がイマイチです。
F2.8のレンズを絞り開放で使う場合、ISO3200を常用としなければいけませんね。

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EOS60Da + SIGMA 10mm F2.8 FISHEYE EX DC HSM (以下、共通)

背後に、飯豊の尾根が見えています。左のピークはおそらく烏帽子岳(2018m)。
奥に見えるのは吊り橋ではなく、倒木です。念のため。
門内沢出会いまで行けばさらにスケールの大きい谷を眼前にすることができるのですが、テント持参でビバークしなければなりません。
日帰りで行ける範囲はここまでです。
正面の茂みがちょっと邪魔ですね。少し、場所を斜め後ろへずらしましょう・・・

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天の川の動きは思ったより早い!
本当に真っ暗なので、地形がよくわかりません。
もちろん登山靴を履いていますが、わずかな移動でも神経を使います。
思ったより、水量は少なかったです。もう1ヶ月早ければ、迫力は一層増していたに違いありません。
ようやく天の川がベストの位置に移動してきてくれました。

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沢を上がった登山道より、北の天の川をパチリ。
このあと樽口峠へ立ち寄りましたが、薄雲が湧いてきているようで、透明度は並程度に落ちていました。
誰もいない樽口峠で、一人コンビニ弁当の夕食タイム。
飯豊の尾根の上にかかる薄雲は、だんだんと厚みを増していくかのようでした。

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23日、飯豊の稜線が最もよく写っているカットを追加しました。
(といっても、1枚目との違いはわずかですが。)

2014年9月21日 (日)

新発田旧市街探訪 (21) 石泉荘

近年、一般公開が始まった石崎家所有の邸宅・石泉荘へ行ってきました。
これから西へ西へと、つまり大栄町7丁目~2丁目、御幸町方面の順に写真をアップしていきますが、先に石泉荘を紹介します。
さて石泉荘ですが、明治38年建築の離れ座敷と、明治28年建築の茶室が登録有形文化財に、登録記念物(名勝地関係)に指定されています。
敷地内を南北に新発田川が流れており、川に対して開放的な設計となっているのが特徴。

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下を新発田川が流れています。

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陽光が川面に反射し、きらきらと光のダンスを窓辺に映しています。

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離れの座敷は、もと料亭として使われていた建物。
右手に藤棚があり、藤の開花期に訪れると、きっと素晴らしい景観を見せてくれるでしょう。

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石泉荘の写真はここまで。
庭園の美しさは想像以上でした。清水園のミニチュア版といったところ。
お勧めの観光スポットです。

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石泉荘近くに、こんな風景を見つけました。
9月18日の記事で、新発田川の川戸の写真を載せましたが、ここにも川戸がありました。
(10月9日補記)

2014年9月20日 (土)

新発田旧市街探訪 (20) 大栄町1丁目&中町・下町商店街周辺

昨日の続きです。
このシリーズも20回目になりましたが、過去の記事を読みたい場合は右下のカテゴリー欄で”新発田市街”をクリックして頂くと、記事の一覧が出てきます。

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いいでの湯の前にある喜楽軒さん。
いいでの湯は建て替えられました。

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老舗の山口時計店。
きらやか銀行新発田支店から石川小路の交差点までの大通りを、中町商店街と称します。

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ウオロク中央町店が今も営業を続けているのは、ちょっとしたサプライズでした。
川鍋さんも健在です。

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こちらは、坂りんから新道へ少し入ったところにある桑原自転車店。
もう営業はしていないようです。
並びに大連軒というラーメン屋があり、今もグルメ通の人気を集めています。

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坂りんの向かいにある魚松さん。

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ここからは下町エリアに入りますが、この看板、古写真集でも目にします。
建物もレトロです。

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成文堂さん。やはり、建物は年期ものです。

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おもちゃのとみさわさんもまだ健在。
子供の頃は憧れの店でした。

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非常に特徴的な建物が、今も大通りに残っています。
旧高橋屋旅館さん。

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とある裏通りの風景。

2014年9月19日 (金)

新発田旧市街探訪 (19) 大栄町1丁目周辺

新発田川沿いに展開する大栄町1丁目界隈は、昭和の暮らしを今に留める懐かしい風景に出会えるエリアです。

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新発田川沿いの三之町会館。

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新発田川沿いのスナップ。

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新発田川の川戸。
かつて、生活用水として新発田川が利用されていた頃の名残を今に留めます。

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ここは大手町1丁目に入ってしまいますが、高木書店の隣の丸長輪店さん。

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富樫医院近くの小路。
藤田味噌麹店、和田雑穀店、川口酒店と続きます。

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その界隈で見つけた、蔵のある風景。

2014年9月18日 (木)

新発田旧市街探訪 (18) 舟入町1丁目&中曽根町3丁目周辺

今回は、新発田市の郊外にあたる地域のスナップです。

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新発田川に面した神明宮。
大きな木が目印。
市内には、神明宮が多いですね。

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神明宮の入り口にあるお地蔵さん。

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写真には写っていませんが、左隣は浄土宗のお寺・安国寺です。

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ここからは中曽根町3丁目。
正龍寺付近には、部分的に古い家並みが残っています。

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こちらは中曽根町1丁目になりますが、付近で唯一の商店・韮沢たばこ店。
次回からは、再び市心部の写真をお届けします。

2014年9月17日 (水)

新発田旧市街探訪 (17) 神明神社周辺

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神明前バス停前の、木村紙店。
かなり古い家です。

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9月25-26日に行われる植木祭りで有名な神社です。
創建は1661年。現在の本殿は、昭和63年に新築したもの。
境内に、新発田台輪の一つ、下町わ組台輪の格納庫があります。
昔(30年以上前)は、境内にお好み焼き屋の屋台があり、10~20円で食べた記憶があります。

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本殿の内部。

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一番最後の写真のスギサキさんの裏になります。
境内の左側に位置します。
なんと、オープンカフェになっています。
これは、今回初めて発見しました。微笑ましい光景です。

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神明宮の向かい。レトロなお店が軒を連ねております。

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裏にある山川菓子店。老舗です。

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今も、ソフトクリームなどのスイーツを販売しているスギサキさん。
メニューも結構多いんですよ。
子供の頃、神明宮まで遊びに行くことはあっても、ほんの10mしか離れていないここまでは足を伸ばしたことがありませんでした。
恥ずかしながら、今回の取材で初めて知った店です。
御幸町3丁目に住む知人に聞いたら、やはり子供の頃よく食べに行ったと言っていました。

2014年9月16日 (火)

新発田旧市街探訪 (16) 西公園周辺~後編~

引き続き、西公園周辺の風景をお届けします。
まず、昨日最後に紹介した写真の道路(旧西ヶ輪地区)を、神明宮方面に向かって歩いてみます。

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くらしま運動具店。中学生の頃、お世話になりました。
昭和初期の西ヶ輪の町並みの絵地図を見ると、倉島馬具店という名前が見られます。
その後、スポーツ用品店に移り変わっていったのが想像できます。
右隣は澤田商店でした。
ここも、その絵地図を見ると、沢田菓子店という名前が見られますので、老舗だったのですね。

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丸長自転車店さん。
例の絵地図に、そのままの名前でちゃんと記載されています。

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母が生きていた頃、EMぼかしを作るため、松屋米店さんで米ぬかを買ったことがあります。
例の絵地図では、小俣米店となっています。

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ここからは、陸上自衛隊新発田駐屯地に接する大手町6丁目と城北町1丁目のスナップになります。
上の写真のように、そして次の写真もそうですが、40年前の佇まいそのままの風景が残っています。

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この稲荷神社の周辺を、昔は築留と呼んでいました。
観光協会の案内板によると、築留は”城の築き止め”の意だそうです。
この周辺の町並みは、城の築城当時に形成されたものです。

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最後の写真のみ西園町3丁目、西公園の裏側あたりの廃屋です。

2014年9月15日 (月)

新発田旧市街探訪 (15) 西公園周辺~前編~

自衛隊の駐屯地に隣接しているため、幾つもの慰霊碑があるのが特徴です。
また、かつては野球場も手前にありました。
慰霊碑がたくさんあるためか、公園全体がやや陰気です。
なので、子供の頃はあまりこの公園で遊んだ記憶がありません。
現在も、その事情は変わっていないように感じました。

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かつてはここに、猿やクジャクなどが飼育されている檻がありました。
ラム(母)とパーキ(娘)がいて、パーキが亡くなったため檻を撤去したそうです。
割と最近のことのようです(2009 or 2010)。

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西公園のシンボルの「越佐招魂碑」。
日清戦争の戦没者を祀っているそうです。

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こちらは「西伯利出征戦病没者残骨灰埋葬之地の碑」。
いわゆるシベリア出兵で亡くなった人たちを祀っています。

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これは「合同忠霊塔」。
昭和12年(1937)7月に勃発した支那事変における戦没者を祀っています。

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こちらは公園の近くの割烹料理店さん。
公園の周囲にはもっとお店があったのですが、ことごとく廃業してしまいました。

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西公園の裏にある、テニスコート跡の広場。
かなり荒れてきています。
野球、ゴルフ、サッカー禁止と書かれた看板が立っています。
球技を禁止にしたら、子供は来ないでしょうに。
大人の都合であれこれ禁止にすることはやめてほしいものです。
これだけ広いのに、本当にもったいないです。

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近年復元移築された”白壁兵舎広報資料館前から、南へ向かう道路をパチリ。
この通りは西ヶ輪といい、かつては中級の家中屋敷町でした。
この先には、道路の左手に神明宮があります。

2014年9月14日 (日)

新発田旧市街探訪 (14) 新発田城周辺

いよいよお城です。
新発田城はかつて本丸、二の丸、三の丸からなり、堀や石垣に囲まれ、新発田川の水を巡らせた平城でした。
11棟の櫓と5棟の門が並び壮観な景観を呈していました。
1874年(明治7年)に主な建造物が取り壊されましたが、2004年(平成16年)に実質的な天守閣である三階櫓と辰巳櫓が再建され、後者は一般公開されています。

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春には桜で周囲が埋め尽くされます。
ぼくが子供の頃はお堀に多数の草魚が生息しており、体長90cmにもなる草魚を釣り上げることは一種のステータスでした。
ちなみに、地元のボランティアガイドさんが常駐しており、聞けば何でも答えてくれます。

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これは、国の需要文化財に指定されている二の丸隅櫓の内部。
右の窓際の床が開くようになっており、そこから石を落として敵の侵入を防ぐような仕掛けになっています。

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お城の前の公園には何本か松の老木があります。
息も絶え絶えといった感じですが、かろうじて生き残っています。

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公園内の水路には睡蓮が見られます。

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これは近年作られた、白壁兵舎広報資料館。
陸上自衛隊新発田駐屯地が隣接しており、その関係の資料を展示しています。

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すぐ近くに県立新発田病院があったのですが、近年駅前に移転しました。
これはその跡地。
現在、遺跡の発掘調査が行われています。

2014年9月13日 (土)

新発田旧市街探訪 (13) 市民文化会館周辺

蕗谷虹児記念館を併設します。
市民文化会館はとてもよくできた施設だと思います。
いろいろな意味で質が高いのです。もっと活用しないともったいないです。
ところで、敷地内にも何本か背の高い木があります。
その代表格がこの銘松。

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この松も記憶にかすかに残っています。
かなり枝がカットされているようでかわいそう。
あと500年くらいは長生きしてほしいです。

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文化会館の裏庭には、ちょっとした林があります。
写真右の木もかなりの樹齢を誇るものと思われます。
さて、文化会館から鈴木歯科医院をへて、大手町5丁目を新発田城方面へ向かって歩いてみましょう。
以下の写真は、道すがら写したものです。

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越後生糸加工業さんの建物もかなり古いです。
規模も大きく、今となっては貴重な木造建築物だと思います。

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堀部安兵衛の生誕地の碑。彼は1670年、新発田城下外ヶ輪中山邸にて生まれました。
この場所に、中山邸があったといわれています。

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右の看板に何が書かれているかというと・・・
この場所(正面向かって右奥~だから、この家ではありません)に、新発田城の東櫓があったそうです。
写真のこの家、何かの商店だったと思われます(今は空き家です)。

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こちらは今もクリーニング店として営業しています。

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大手町5丁目は、このようにぽつんぽつんと古い商店が残っています。
シャッターの閉まっているお店も多いですが。

2014年9月12日 (金)

新発田旧市街探訪 (12) 外ヶ輪小学校周辺

昭和63年11月、それまでの旧校舎が取り壊され、新校舎が完成しました。
しかし、前庭やグランドに昔の面影を留めているのは嬉しいことです。
今回やはり30年ぶりくらいに正門前へ行ってみたのですが、見覚えのある松の木が何本もありました。

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ここは校舎の後ろの方ですが、この松もなんとなく見覚えがあります。
校舎のレイアウトがガラッと変わってしまったので、どこにあったかは思い出せません。

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前庭にこんな巨石を見つけました。これだけは記憶にありません。
新たに運び込まれたものか、それとも昔からあったのか・・・

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正門を入って右側にある松です。
これはおそらく昔のままだと思います。
ずっと何十年も子供たちの登下校を見守ってきたんですね。
今もぼくを温かく見つめる松の視線を感じました。

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正門の左側の登下校路。
ここは昔とほとんど変わっていません。ひたすら懐かしさがこみ上げてきます。

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正門付近に昔からある畳屋さん。

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こちらはグランドです。
この桜並木も昔のままです。
休み時間、よく右側の背の高い木々の下で遊んでいたのを思い出します。
やはりこれらの桜の木もぼくに対して微笑みかけてくれているかのようでした。
帰ってきたよ、と心の中でつぶやきました。
グランドには本丸中学校を卒業してから来たことがなかったので、約40年ぶりの再会です。
現在は敷地がフェンスで囲まれていて、一般の人は原則立ち入ることができないのが残念。
昔は、学校のない日でもここで遊んでいる子供達の姿を見ることができたのですが。

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こちらは外ヶ輪公園。

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昔から偉容を誇っていた、笹川邸の庭園。
よく手入れされています。

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市役所方面へ下っていくと、すぐこの川が見えてきます。
右の緑色の家は、ぼくの友人が住んでいた旧宅。

2014年9月11日 (木)

新発田旧市街探訪 (11) 簡易裁判所界隈再び

クンルンネイゴンの継承者・Kan.さんがアネモネという雑誌(2012 Nov.)のなかで「My Tree 運動」を提唱しています。
少し引用します。

1.自分のお気に入りの木を1本見つけ、その木と仲良くなる。
2.何かあるたびに”お気に入りの木に会いに行くようにし、その木に触ったり、話しかけたりして過ごす。
3.その木とたくさんの時間を共有するようになると”お気に入りの木”が喜び、あなたのことを親友の木に話すようになる。木にはテレパシー能力があるため、海外に生えている木とも交信しあう。
4.”お気に入りの木”のヨロコビのバイブレーションは、近くの子供達を惹きつける。子供達は無意識のうちに自然とその木の周りで遊ぶようになっていく。
5.その木からたくさんのエネルギーを浴びた子供達は、とても元気になる。子供達の元気は両親に伝わり、彼らの家庭を、ひいては地域全体を活性化させることに繋がる。
6.特定の木と深く繋がるようになると、自分自身の感覚が開いてきて、”木とコミュニケーションできる”ようになっていく。
例えば森へ行ったとき、木に呼ばれているのが感覚的にわかるようになる。海外へ旅したときなども、お気に入りの木の親友の木から挨拶されることもある。

ぼくにとっての初代”お気に入りの木”は次の写真の木でした。

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簡易裁判所の敷地に生えている「布団掛けの松」です。
推定樹齢360年。
大火が1719年に新発田を襲ったとき、城下一の銘松を燃やしてしまうのは忍びないと、町の人々が布団を掛けて水をまきました。
そのようにして何とかこの松は生き延びたのです。それが名前の由来です。
現在の新庁舎が建設される前は、裁判所の前庭の左側にありました。
そのすぐ横が3人野球をするときのピッチャーの位置。
裁判所の前庭でキャッチボールを始めた小学1年生の頃から、この松とは心が通い合っていました。ということを、恐らく30数年ぶりにこの松と対面し、思い出したのです。
思い起こすと、新発田には銘松が多いです。
それらほとんど全ての松と繋がっており見守られてきたことを、知覚の最も深い部分で思い出したのです。
この写真は9月2日に撮ったものですが、以降数珠つなぎ的に、そんなかつての盟友?たちとの再会を果たしていったのでした。
それらの松の写真もおいおいアップしていきます。

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もう1本、裁判所に生えている銘松です。
現在の庁舎建設に伴い、この松も移動されています。
当初の位置は、さきの布団掛けの松(こちらもやや動かされていますが)の近くにあったように記憶しています。
道路際に生えている桜の木はそのまま残っているものも多いですが、前庭にあった木で残されたものは少ないです(クヌギの木は伐採されてしまいました。裏庭にあったスモモの木も今はありません)。

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もう少し、松に関わるエピソードを紹介します。
これは、韓国映画「猟奇的な彼女」のロケで使われた松。2003年にぼくが現地で撮った写真です。
場所は韓国のど真ん中、江原道咸白の白雲農場。
当時、最初にこの映画を見たとき、最も印象に残ったのがこの松でした。
松がぼくに語りかけてきたような気がしました。その感覚がとても懐かしくて、それを確かめるべくこの松に会いに行ったのでした。
とても交通不便なところにあったのですが、割とスムーズに辿り着くことができました。
松の木の下で瞑想していると、さらにその感覚には”奥”があることを知りました。
そして11年後の9月2日、その”奥”にやっと辿り着いたのです。
ロシアのベストセラーで、最近日本でも反響を呼んでいる本に「アナスタシア」シリーズがありますが、そこにはシベリア杉の神秘が詳述されています。
今では、アナスタシアの世界もすとんと腑に落ちるのです。
Kan.さんの言うことは正しかった。木には木のネットワークがあり、人間の意識のネットワークと交流しているのです。
白雲農場の松は、布団掛けの松の親友なのでした(人間の言葉であえて翻訳するとこうなります。なんか陳腐に響きますが)。

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旧市街探訪シリーズに戻ります。
観光パンフにもよく登場する、カトリック教会の建物です。
新しくできたバイパスから撮っています。我が家の右隣には糸屋さん(小林さん宅)があったのですが、ちょうどそこからのアングルです。
我が家同様、小林さん宅もバイパスの建設に伴い、その住居は撤去されてしまいました。

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教会の裏には聖母幼稚園があります。
これはそこの運動場。
この広場でもよく遊びました。
裁判所の前庭に次ぎ、思い出がぎっしり詰まった場所です。

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警察署の隣にある美容院です。
随分古くからある美容院で、ぼくの母が通っていた店です。

2014年9月10日 (水)

新発田旧市街探訪 (10) 上町商店街周辺~後編~

第四銀行新発田支店のたつ交差点を中心に、半径100mくらいのエリアで撮った写真を紹介します。
まず最初の3枚は、大通りから南側(大栄町1丁目)のスナップです。

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次に、とみさわと並んで子供達に親しまれてきたおもちゃ屋さん・萩野玩具店の今。

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最後に、大通りから北側(中央町3丁目)のスナップです。

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市心部で、最も昭和の香りを残している北幸旅館。

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右下に北幸旅館が見えています。
背後はNTTのビルディング。

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視線を反対側に転ずると、二股が目の前に現れます。

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二股を右に進むと、30mほどで馬場医院(左手)。
幼い頃から、何かあると馬場医院へ駆けつけていました。
すなわち、我が家の主治医というわけ。
今は息子さん(ぼくより一つか二つ学年が上だったと記憶しています)が後を継いでいます。
馬場先生には本当にお世話になりました。ありがとうございました。

2014年9月 9日 (火)

スーパームーンと新発田の古刹

新発田旧市街シリーズはお休みして、今日はSuper Moon Day。

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宝光寺本堂(新発田市諏訪町)

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宝光寺山門

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宝光寺山門

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山楽寺(新発田市五十公野)

2014年9月 8日 (月)

新発田旧市街探訪 (9) 上町商店街周辺~前編~

第四銀行新発田支店の周辺です。
同支店の古写真を見ると、その見事なまでの西洋の洋館風佇まいにうっとりとします。
その周辺にはわずかながら、”昭和”の名残を伝える空間が存在します。

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愛宕神社は古くは明王院といい、初代藩主溝口秀勝が入封の際に持ってきた”勝軍地蔵”を安置させました。左手に旧地蔵堂町という案内板がたっていますが、名前のいわれはこのようなものです。
勝軍地蔵は、今は宝光寺に安置されています。
ちなみに、隣は食堂あじよし。
ガイドブックやタウン誌に載ることもないですが、個人的に市内で最も好きな食堂です。
極上の”おふくろの味”を堪能できます。
麺類を注文することが多いですが、メニューはご飯ものも充実しています。

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新発田で産婦人科と言えば、郊外にある関塚医院が最も有名ではないでしょうか。
ぼくのすぐ下の妹は昭和39年、写真の広神医院で産声を上げました。
この界隈も随分昔と変わりましたが、広神医院は昔の佇まいそのままです。

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こちらは魚屋さんの川久さん。
ちゃんと断った上で写真を撮っています。
昔は市内には多数の魚屋がありました。
また、月に一度は浜のおばちゃんがリアカー引いて魚を売りに来ていたものです。網代浜から市心部まで13kmあるのですが・・・
我が家の食卓には毎日のように魚がのぼっていました。肉を食べることは滅多にありませんでした。
カツ丼なんかはとびっきりのご馳走でした。

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旧ハヤカワデパート。新発田に最初にできた百貨店です。
下宿を細々と三の丸の路地で営んでいた我が家に、ハヤカワの店員さんが下宿していたことがあります。
今はカラオケ店などが入居しています。

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左端の建物が旧ハヤカワデパートです。
ここに市役所の新庁舎が建設されます。
すでに地ならしが始まっています。ブルドーザーが右下に見えていますよね?

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旧ハヤカワの裏手。昔から水商売系の気配がプンプン。
陰気な感じのする空間です。

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産業会館跡地。産業会館が立つ前は体育館がありました。
幼稚園~小学生時代、夏休みの間はラジオ体操をしに、毎朝体育館前の広場へ通っていました。

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北越銀行新発田支店の駐車場脇です。
今回、はじめてこのような空間が残っていることに気づきました。

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”オチャホイ”で知られるシンガポール食堂が隣にあります。

2014年9月 6日 (土)

新発田旧市街探訪 (8) 寺町界隈~特別編~

両親の墓がある福勝寺と、寺町の入り口・新発田警察署の裏側にあるプチパワースポット?を紹介します。

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福勝寺は、1394年に開山した曹洞宗のお寺。
現在の伽藍は安政4年9月7日(1857年)の火災で焼失した後に再建されたものと言われています。

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境内の羅漢堂には本尊釈迦如来の他に、脇立として十六羅漢が祀られています。これらの像は一見の価値あり(次の写真)。

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また、このお寺は戦国時代の武将・新発田重家の菩提寺として知られています。
重家は、上杉景勝に一人で反逆した気骨のある人物だったようです(1587年10月自刃)。

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物心ついた頃から現在に至るまで、首尾一貫して気になっていた場所がありました。
それが上の写真の松林のある一帯。ちょうど、新発田警察署の裏にあたります。
ここだけ空気感が違うというか、東京でいえば皇居のような感じのする場所なのです。
今回取材で久々に訪れてみましたが、ある種の神々しさをやっぱり感じることができました。

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ちょっとアングルを変えて撮ってみました。
すぐ裏には法華寺~蓮昌寺の松林があり、これらの木も同じくらい背が高いです。
おおむね、木が他の場所と比べ生育が旺盛な場所は、相対的に磁場というか、エネルギーが高い場所と言えるでしょう。
市役所の前からでも、この松林は一望できます。
プチパワースポットのバイブレーションを感じてみて下さい。

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江戸時代に作成された生保絵地図によると、二の丸と三の丸は重臣屋敷が並び、地蔵堂町は中堅藩士、外ヶ輪・西ヶ輪・小人町・同心町などには一般藩士が住んでいたとされます。
そしてここは三の丸の一角。七軒町のすぐ隣です。
明治初年の”新発田藩家中屋敷割図”によると、君亨次郎宅となっています。
これらの背の高い老松は、武家屋敷の名残を残すもの。
現在も人が住んでいるため一般公開はされていませんが、このあたりが最も城下町としての硬派なイメージを留めている場所だと思います。
尚、清水園の敷地には、八軒町にあった石黒門三郎(70石)の武家屋敷が移築復元されています。
(9月25日追記:石黒家の正確な場所がわかりました。なんと、ぼくが住んでいた中央町1丁目の家から直線距離で70mほどの至近でした。)

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最後に、工芸高校跡地。
ふれあいプラザ中央という建物があったはずなのですが、いつのまにかなくなっていました。
明治時代は、このあたりを七軒町といいました。
中級の家中屋敷が7軒あったので、この町名になったと考えられています。

新発田旧市街探訪 (7) 寺町界隈~後編~

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我が家の菩提寺・福勝寺の墓地。
実際には隣の相円寺の墓地が連なっているため、ものすごく壮大です。

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墓地の裏にある空き家。

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法華寺の本堂。法華寺の境内には、背の高い松の木があります(写真がそれ)。
新発田藩初代藩主・溝口秀勝が城を建築した折、城から小高い松の木が見える山のような地形を見つけ、そこに寺を建立せよと命じて建てられたのがこのお寺です。
(ちなみに背の高い松の木は、通りを隔てた反対側にある渡辺家の敷地内にも何本かあります。こちらの方が高いかも。この地の標高は市内の他の場所同様10mしかなく、特に高いわけではありません。松の木が一帯に密集して生えているため、お城のてっぺんから見ると山のように見えたというだけだと推察します。)
そのいわれから、松見山法華寺と名付けられ、それ以降、新発田藩の菩祈願寺として栄えてきました。
隣接する瑞雲寺・真称寺・蓮昌寺の4カ寺はこのお寺の地を分譲したもの。
現在の本堂・書院・庫裡は1992年の再建。
山門は2008年の建築になります。

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蓮昌寺の入り口に、ザクロの木を発見。
昔、近所にもザクロの木があったせいか、ザクロの木を見ると心が安らぎます。

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同じく蓮昌寺。

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真称寺の本堂。

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瑞雲寺の本堂。

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寺町からの一風景。

2014年9月 5日 (金)

新発田旧市街探訪 (6) 寺町界隈~前編~

連日のように町歩きをしていたら、はまってしまいました。
湯水のように記憶が蘇ってくる!
40年ぶりくらいに思い出した記憶も少なくありません。すごい!
時に特定の空間にその記憶は刻印されており、時にその感覚は”今ここ”、しいて言えば、ハートの中の秘密の空間に生きていたのです。
やはり徒歩がいいですね。
移動の速度を緩めれば緩めるほど、微細な記憶や精妙な感覚に共鳴しやすくなります。
車は言うに及ばず、自転車でさえも速すぎるのです。
歩くことの楽しさを再発見したような気がします。
ということで、撮った写真は4日間で1000枚を超えました。
もうしばらく~10月下旬まで~は、このシリーズを続けていこうと思います。

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小嶋精肉店さん。今も活気があります。

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新発田市の観光パンフレットに必ず載っている宝光寺(曹洞宗)さん。
小学校3年か4年の頃、写真の門の2階部分に上った頃があります。
どうやって上ったのか、今では思い出せません。
秘密の通路が突然目の前に現れたような気がするのですが・・・
もちろん、内部へ立ち入ることはNGですから、念のため。
新発田藩歴代藩主の墓があります。

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我が家の菩提寺・福勝寺の向かいにある斎藤釣具店。
ぼくは小・中・高と釣りキチでした。
あとで紹介する倉島釣具店と並び、よく顔を出していたのがここ斎藤釣具店です。
父は倉島のばあちゃんと仲が良かったので倉島ばかり利用していましたが、定価販売の倉島に比べ、こちらはいつも1割引にしてくれるのでぼくは斎藤のおばちゃんをひいきにしていました。
おばちゃん、もうかなり高齢のはず。どうか長生きしてください。

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こちらはすぐ近くの商店街にある倉島釣具店。
斎藤さんより店の規模が大きいので、ルアーや竿を買うときはこちらが多かったかな?
ぼくは海も川も渓流もなんでもやりました。特に好きだったのはルアー釣り。
井上博司さんや常見忠さんの本を頼りに、小学校6年生のときからはじめました。
まだ当時は東港へ行っても、ルアーを振っている人は皆無でした。
高校2年のとき、胎内第一ダムで釣った40cmのニジマスや、加治川ダム(湯ノ平温泉手前のダム)で釣ったやはり40cmクラスのイワナの魚拓を店内に飾ってもらったことがあります。
クラシマで魚拓を飾ってもらうのは一種のステータスだったので、当時はぼくは鼻高々でした。ましてや、高校生ではぼくが初めてだったので。唯一の自慢話です。
今はもう釣りはやめましたが。

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ここも息の長いお店です。

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中央商店街で今も流行っているといえるお店はもうないかもしれません、この床屋さんを除いては。
ぼくがここへ初めておじいちゃんに連れられてきたのは、もう40数年前になります。
その五十嵐床屋さん、今はルデパールという横文字に店名を変えていますが、ここは今でも結構繁盛している貴重なお店です。
かくいうぼくも、おととしまでは1年に2~3回通っていました。
マッサージとシェービングが異常に丁寧で、かつ時間をかけてやってくれます。
なので、全て終了するまで、1時間15分はかかります。
時間にゆとりのあるときでないと利用すべきではありません。
腕は確かです。請け負います。

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右側のショーウインドウに、かつてはコインや古銭が並んでいました。
ここは、ぼくの父の友人だった片山さんが営んでいた古銭店(というんでしょうか?)の建物。
お店はとっくにやめてしまいました。
向かいには森花屋さんがありましたが、花屋さんも今は廃業。寂しい限り・・・
小学生4~5年の頃、一時的に古銭収集に凝っていたことがあり、このお店にもよく行っていました。

2014年9月 4日 (木)

新発田旧市街探訪 (5) 駅前通り商店街周辺

JR新発田駅前が、なんといっても最も大きく変貌した地域でしょう。
基本的に古い町並みをカメラに収めてきましたが、例外的に新旧併せて取り上げてみました。

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本町の交差点の近くで、今も営業している平田カメラさん。
ここで何度も証明写真を撮ってもらいました。

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本町の交差点から駅前に向かって歩いて行くと、左手に現れる八百屋さん。
このお店も随分昔からやっています。

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そして、県立新発田病院です。看護学校も併設しています。
ちなみに、ここの食堂けっこうコスパが高いです。

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むかしむか~し、ジャスコが建っていた所。
今じゃ、信じられませんが。
新発田に一番最初にできた百貨店はハヤカワでした。
次にジャスコ、そしてダイエー。
現在は、西新発田駅前にイオン新発田店があるのみです。

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東公園にはSLが展示されています。デゴイチです。

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東公園から見た諏訪神社。
背後に県立病院が偉容を見せています。

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そして、清水園の向かいにある足軽長屋。昭和43年まで人が住んでいました。

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市島酒造さんは、中を見学することができます。
建物も味わい深いです。

2014年9月 3日 (水)

新発田旧市街探訪 (4) 諏訪町3丁目界隈

市島酒造と清水園の間を走るR290号線沿いは、かつては商店がひしめくように軒を連ねていました。
今まで車で通り抜けることはあっても歩いたことはなかったのですが、恐らく生まれてこの通りとその裏通りをくまなく歩いてみました 。
R290沿い、羽越本線の踏切までは現在急速に空き地が増えてきており、スカスカです。
通りのどこからでも二王子山が見えます。

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ここは畳屋さんです(濱崎畳店)。

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ここのご主人とぼくの父は親友同士でした。
和菓子の山形屋さん。

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線路脇に立つ床屋さん(理容ほその)。

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諏訪町3丁目の守り神といっていいでしょう、天照皇大神宮。
ここはまだ人々の尊崇を集めているようで、濃密な”気”が感じられました。

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裏通りに入ると、職人さんが活躍しています。

2014年9月 2日 (火)

新発田旧市街探訪 (3) 石川小路周辺

急速に変貌しつつある、新発田市旧市街のスナップショットをお届けしています。

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桂医院の前から北の通り、割烹志まやさんの方を写しています。
突き当たりの交差点手前の右側には魚屋さんと八百屋さんがあり、昔は大変な賑わいをみせていました。
ちなみに左手の大きな建物は平久呉服店、通りをはさんで軽自動車の向かい側に建っている小さな建物には、山崎毛糸店、石井食肉店が入っていました。

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小川眼科の斜め向かいには、小熊生花店がありました。
生け花の先生をやっていたぼくの母の御用達だった店です。
その長屋のような建物は撤去され、現在はごらんのように変貌しています。

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桂医院の旧宅。
代々新発田藩の御用商人として藩の財政を支えた豪商白瀬家があった場所です。

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おお、ここはまだ現役ですね。

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周円寺の墓地。

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2014年9月 1日 (月)

新発田旧市街探訪 (2) 新道~中町商店街付近

昨日、新発田市旧市街の一部を散策して感じたことですが、やはり廃屋となっている家屋や、建て替えられた家屋が多いということ。商店街では閉ざされたシャッターが目立ちました。
完全に個人的な感傷の記録ですが、しばらく旧市街を隅から隅まで訪れてみるつもりです。

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市役所から新道側へ歩くと、右側に見えてくる祠です。
古くは掛蔵と呼ばれた歓楽街の入り口にあたります。
右の小道を入っていったところに旅館がありましたが、もちろんとっくの昔に廃業しました。
建物はまだ残っていましたが。

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新道界隈では、まだまだ古い建物が現役です。

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新道の守り神。
ビルとビルの間にひっそりと佇んでいます。

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商店街に目を転ずると、懐かしや、昭文堂書店の看板が残っているではありませんか。

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こちらはかつてのレジャーセンタービル。向かいにはダイエーがありましたっけ。

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公設鮮魚市場だったところ。
新発田川沿いには、かろうじて昔の面影が残っています。

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ある日の夕暮れ、18時25分。
行き交う車もまばらです。

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