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2014年9月 6日 (土)

新発田旧市街探訪 (8) 寺町界隈~特別編~

両親の墓がある福勝寺と、寺町の入り口・新発田警察署の裏側にあるプチパワースポット?を紹介します。

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福勝寺は、1394年に開山した曹洞宗のお寺。
現在の伽藍は安政4年9月7日(1857年)の火災で焼失した後に再建されたものと言われています。

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境内の羅漢堂には本尊釈迦如来の他に、脇立として十六羅漢が祀られています。これらの像は一見の価値あり(次の写真)。

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また、このお寺は戦国時代の武将・新発田重家の菩提寺として知られています。
重家は、上杉景勝に一人で反逆した気骨のある人物だったようです(1587年10月自刃)。

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物心ついた頃から現在に至るまで、首尾一貫して気になっていた場所がありました。
それが上の写真の松林のある一帯。ちょうど、新発田警察署の裏にあたります。
ここだけ空気感が違うというか、東京でいえば皇居のような感じのする場所なのです。
今回取材で久々に訪れてみましたが、ある種の神々しさをやっぱり感じることができました。

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ちょっとアングルを変えて撮ってみました。
すぐ裏には法華寺~蓮昌寺の松林があり、これらの木も同じくらい背が高いです。
おおむね、木が他の場所と比べ生育が旺盛な場所は、相対的に磁場というか、エネルギーが高い場所と言えるでしょう。
市役所の前からでも、この松林は一望できます。
プチパワースポットのバイブレーションを感じてみて下さい。

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江戸時代に作成された生保絵地図によると、二の丸と三の丸は重臣屋敷が並び、地蔵堂町は中堅藩士、外ヶ輪・西ヶ輪・小人町・同心町などには一般藩士が住んでいたとされます。
そしてここは三の丸の一角。七軒町のすぐ隣です。
明治初年の”新発田藩家中屋敷割図”によると、君亨次郎宅となっています。
これらの背の高い老松は、武家屋敷の名残を残すもの。
現在も人が住んでいるため一般公開はされていませんが、このあたりが最も城下町としての硬派なイメージを留めている場所だと思います。
尚、清水園の敷地には、八軒町にあった石黒門三郎(70石)の武家屋敷が移築復元されています。
(9月25日追記:石黒家の正確な場所がわかりました。なんと、ぼくが住んでいた中央町1丁目の家から直線距離で70mほどの至近でした。)

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最後に、工芸高校跡地。
ふれあいプラザ中央という建物があったはずなのですが、いつのまにかなくなっていました。
明治時代は、このあたりを七軒町といいました。
中級の家中屋敷が7軒あったので、この町名になったと考えられています。

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