新発田旧市街探訪 (27) 御幸町3丁目界隈
このシリーズ、当初は土地勘のある場所を中心に、あまり町域の区分けを気にせずに記事を書いてきました。
しかし、取材を進めていく中、より細部に目が行くようになり、きちんと整理しないと収拾がつかないようになっていきました。
9月中旬、新発田図書館から借りてきた「城下町新発田の旧町名」という本を読んだら、自分の知識が非常に浅いことを思い知らされ、もっと入念に取材を行うようになりました。
ですから、中盤辺りからより細かく町域を区切るようになり、それに基づいて記事を書いています。ただし、厳密には多少隣接町域と入り交じっている写真もありますが。
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さて、御幸町はそもそも裁判所の近くの小路で育ったぼくにとっては全く未知の地域でした。
おととしから長徳寺にヨガを習いに顔を出すようになり、そのとき初めていかに御幸町が迷路のように入り組んでいるかを知った次第。
中でも、御幸町3丁目は迷路です。
ただし、3丁目の住宅地が形成されたのは比較的新しく、大正6年9月の古地図によると、一帯は野原となっています。やや離れて、今の御幸町2丁目にかけて三宣町の貸座敷街が細々と連なっていたほかは。
四之町公会堂脇の細い道を入っていくと、正面にこのお店が見えてきます。
時田畳店~木村洋服店界隈の通りはかなりレトロです。
ここは長徳寺の近く。この通りから西が御幸町3丁目。
井上葬儀店さんは大栄町1丁目になります。
御幸町2~3丁目界隈は、9月に入ってから3~4回は散策に訪れました。
冒頭にも書きましたが、この辺は今までぼくのテリトリー外でしたから。
ふかみ美容室前の細い通りは、大正6年9月発行の”北蒲原郡新発田町全図”に既に記載があります。
一方、右手を走っている道幅の広い道路は戦後できたもの。
御幸町ふれあいコミュニティーセンターに隣接して石仏神社が建っています。
これがそこに安置されている石仏たち。
天明年間(18世紀後半)の作。阿弥陀如来を模して彫られた石像だそうです。
児童遊園が併設されています。
とても気持ちのよい場所で、ここ3週間の間にぼく自身4回くらい足を運びました。
いつも遊んでいる子供達の姿を目にします。
石仏神社脇の水路。正面が五叉路の交差点です。
左側に小道が付いています。
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