新発田旧市街探訪 (25) 御幸町1丁目(旧紺屋町周辺)
昔の町名で言うと、紺屋町と職人町が御幸町1丁目になります。
材木町・紺屋町・上定役町・築地通りを四ノ町と呼びますが、その一角です。
材木町は今の桂医院のあたり、そこから西側、元海寺までが紺屋町、そこから西側が職人町です。
市の教育委員会が作った案内板が要所要所に立っているので、それを見つけることを目的とすると町歩きの楽しさが増します。
真言宗のお寺・元海寺。
四ノ町公会堂の隣にあります。
元海寺の入り口に二つの石碑が建っています。
湯殿山の石碑は、密教系の多くの寺院で見られます。湯殿山は修験道の聖地ですから。
手前の石碑(庚申塔)には、文久三の文字が見えます。
西暦に直すと1863年。
この年に起きた出来事を挙げてみましょう。
例えば、新撰組の隊長芹沢鴨が暗殺され、近藤勇が隊長に就任。
例えば、薩英戦争勃発。
幕末の激動期だったのです。
この長屋、元は12軒が連なったものでした。
明治20年頃、白瀬家が建てたと言われています。
平成に入ってから三之町一帯で家の建て替えが進んできたため、この辺りが新発田市内で最も古い街並みを(部分的ではありますが)留めている一角と言えるでしょう。
アングルを変えてくだんの長屋を写してみました。
金子屋別館の向かいにある四之町公会堂と、同じ敷地に立つ都波岐(つばき)神社。
祭神は猿田比古命。
旧紺屋町を示す案内板がここに立っています。
新発田川を渡り大手町1丁目に入ってしまいますが、ここに(写真右手)番太郎小路を示す案内板が立っています。神明前バス停の近くです。
火や盗人の番、木戸の番に当たったものを番太郎と言いました。
その番太郎が住んでいた番小屋があったため、そう称するようになりました。
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