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2011年3月 2日 (水)

喜びと祝福

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ここは新潟県立植物園。四季を問わず、年に4-5回は足を運ぶお気に入りのスポット。
3月6日までは恒例の蘭展が開催されています。(撮影日:2011年2月18日)

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蘭の花はまさに喜びと祝福のエネルギーそのもの。
私たちの自覚意識は肉体の中に宿っているのではありません。肉体を含む物理的な事象は全てが’わたし’という意識の中に宿っているのです。
’わたし’は永遠の観察意識。
’わたし’は全てを観察したく、そこに生まれるあらゆる種類の感情を味わいたくむずむずしています。
’わたし’は時空間という最高のエンターテイメント、3D空間を創造し、その空間を味わい尽くす装置として肉体なるものを生み出しました。
でも、その装置の中に入ると、感情というリューシュを体験できるのと引き替えに、そもそも自分が観察し、クリエーションしている側だということを忘却してしまいます。
リアルな五感を通じて入ってくる圧倒的なまでの肉体感覚にのまれてしまうからです。
この究極の分離体験は、宇宙の側が「わたしは誰だか当ててごらん」という問いがその根底に横たわる、壮大なゲームなのです。
ある人は、これを「制限解除ゲーム」と呼んでいます。言い得て妙ですね。
宇宙の側、全てを創造し、この瞬間も光を生み出し続けているのは’わたし’という観察意識。あらゆる体験を通して、みずからが課した固定観念という概念に代表されるプログラム内容に気づいていき、それをはずしていくのがゲームの主な進行表です。
観察し見守る側には、そもそも喜びと祝福しかありません。
どんなネガティブと思える体験も、フィルターがかかった視点で眺めるから負の感情を引き起こすのです。常にフィルターやプログラムが無意識に作用しています。
蘭の花はそのあでやかな光を通し、この世の中には喜びと祝福しか味わえ得ないのが本来の姿なんだよと教えてくれます。
人間にとって教師と呼べるような存在が、この世界にはあまた存在します。
蘭もそのひとつです。


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