ヤッターマンを見終えて
のちヤッターマン、オタスケマン、ヤットデタマンなどのいわゆるタイムボカンシリーズが放映開始されたのが、ぼくが高校生だったときです。冬、教室のだるまストーブを囲んで昨日見たタイムボカンのくだらなさについて熱く語りあうことが一週間で一番の楽しみでした。
それだけに、実写版のヤッターマンを見ることにはちょっとした勇気が必要でした。
で、思い切って見に行ってきたのですが・・・う~ん、微妙。ストーリーはいいのですが、演出がイマイチですね。
ヤッターマン1号・2号役の櫻井翔、福田沙紀はとてもよかったです。原作のイメージそのものと言ってよいでしょう。その点はパーフェクト。
でも、肝心の悪役軍団の出来がイマイチ。特にドロンジョ役の深田恭子。
演技もビジュアルも幼すぎるのです。初々しすぎるのです。監督さん、何か勘違いしていません?
演技について言えば、悪役軍団のそれがちょっとコミカルすぎ。もっとシリアスに、強面にいくべきで、それだからこそずっこけたときのコミカルさが生きてくるし、哀愁が生まれるのです。シリアスさとコミカルさの配分において、後者が優勢になりすぎ。
そしてドロンジョ。
ぼくが監督だったら20代後半から30代前半の、危ない大人の色気を感じさせる人を選ぶでしょう。若い頃かなり遊んだなあと、たくさん大恋愛してきたなあと人生経験の豊富さを感じさせる、熟女手前のきれいな女性。イメージ的には、ルパン三世の不二子がかなり近いかな。
実写版の場合、一番面白さを感じさせるのは生身の人間と人間の交錯が醸し出す存在の妙にあるわけで、ドロンジョは初々しすぎてはならないのです。本当の意味でのセクシーさは、ルックスから以上にオーラから発散されるもの。
過去の男性遍歴を少しも感じさせない深田恭子演じるところのドロンジョはその点少しもインパクトがないし、ゆえに善玉達との絡みにおいて心の底からの可笑しさを感じさせることに失敗しています。
善と悪、コミカルさとシリアスさ、清純さとセクシーさ、そういった2元的要素の配合のさじ加減がこの漫画の全て。そういう意味で、監督は役者に、特にドロンジョ役の女優に対して優しすぎました。ドロンジョがピリッとしたイケてる大人の女性であってこそ、これらの配合は意味をなしてくるのです。
エンディングを見ていたら次回作の予告がありましたが、個人的にはこの続きを見るより、一部配役を変えて「オタスケマン」や「ヤットデタマン」のリニューアル実写版~1作完結版~を見てみたいかな。
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